「こんな簡単なことなのに、なぜ伝わらないのだろう」
誰かに仕事を教えたり、得意分野について説明したりすると、そんな疑問を持つことがあります。
原因の一つとして考えられるのが「知識の呪い」です。
知識の呪いとは、ある情報を知ってしまうと、その情報を知らない人がどのように考えるのかを想像しにくくなる傾向を指します。
知識そのものが悪いわけではありません。問題になるのは、自分にとって当たり前になった前提が、相手にも共有されているように感じられることです。
説明する側には十分な一言でも、知らない側には重要な情報がいくつも抜けている。そんなすれ違いが、なぜ起こるのでしょうか。
知識の呪いとは?
たとえば、スマートフォンに詳しい人が家族へ操作方法を教える場面を考えてみましょう。
「設定を開いて、アカウントから同期をオンにすればいいよ」
詳しい人には十分な説明かもしれません。
ところが初めて操作する人には、
「設定はどこにあるのか」
「アカウントとは何を指すのか」
「同期とは何をする機能なのか」
という疑問が残っています。
説明した側は意地悪で省略したわけではありません。何度も操作しているうちに、途中の手順や用語が「説明しなくても分かる情報」へ変わっていたのです。
知識の呪いは、自分が持っている知識をいったん脇へ置き、知らない人の視点から考えることが難しくなる現象として研究されています。
「知識の呪い」という言葉は1989年の研究で使われた
1989年、コリン・キャメラー、ジョージ・ローウェンスタイン、マルティン・ウェーバーが発表した経済学の論文では、「curse of knowledge(知識の呪い)」という言葉が使われました。
研究では、より多くの情報を持つ人が、情報を持っていない人の判断を予測するとき、自分だけが知っている情報の影響を十分に取り除けないことが示されました。
しかも、自分に有利になるよう相手の判断を予想する必要がある状況でも、その影響は完全には消えませんでした。
「知識が多ければ、知識の少ない人の考えも正確に予想できるはず」とは限らないことを示す研究です。
ただし、これを「人が知らない側の視点を想像しにくい現象が1989年に初めて発見された」と捉える必要はありません。それ以前にも、知った後では知らなかったときの見方を再現しにくくなる現象について研究が行われていました。
後知恵バイアスとも関係が深い
知識の呪いと近い現象として、後知恵バイアスがあります。
出来事の結果を知った後で振り返ると、
「そうなると思っていた」
「最初から予想できたはずだ」
と感じやすくなる傾向です。
バルーク・フィッシュホフによる1975年の研究では、結果について知らされたことが、その出来事を後から評価するときの判断に影響しました。
一度結果を知ると、その結果をまだ知らなかったときの見方を再現することが難しくなるわけです。
ただし、知識の呪いと後知恵バイアスを完全に同じものとして扱う必要はありません。
後知恵バイアスでは「結果を知った後の判断」が中心です。一方、知識の呪いはもっと広く、自分が知っていることによって、知らない人の理解や判断を見積もりにくくなる場面にも使われています。
知識の呪いは、長年経験を積んだ専門家だけに起こるものでもありません。
たとえばクイズの答えを覚えた後、その答えを知らない人が正解できるか予想する場面でも、自分が得た知識の影響が入り込むことがあります。
実験では、参加者が雑学問題の答えを学習していくにつれて、まだ答えを学んでいない人の知識を見積もる精度が低下する条件も確認されています。
つまり問題になるのは、単に「知識が豊富な人かどうか」だけではありません。
自分はすでに知っていて、相手はまだ知らない。
その差が生まれることで、相手から何が見えているのかを予測しにくくなる場合があります。
なぜ知っている人ほど相手の視点が分かりにくくなる?
一度覚えたことを、まだ知らなかった状態へ完全に戻して考えるのは簡単ではありません。
九九を覚えた大人が、初めて掛け算を習う子どもの感覚をそのまま体験できないのと似ています。
答えを知っている側には見えているものが、知らない側にはまだ見えていません。
自分の知識を頭の中から消すことはできない
クイズの答えを知った後に、問題文をもう一度読んでみると分かりやすいでしょう。
答えを知る前には難問だったはずなのに、
「これはすぐ分かりそう」
と感じることがあります。
答えを忘れたふりはできても、本当に知らなかったときと同じ状態には戻れません。
人について考えるときにも、自分自身の知識が見積もりへ入り込むことがあります。
「私は知っている。でも相手は知らない」と頭では理解していても、どこまで説明すれば相手が理解できるのかを正確に見積もるのは別の問題なのです。
分かりやすく感じるものを「みんなも知っている」と思うことがある
知っている言葉や何度も見た情報は、頭に浮かびやすくなります。
その感覚が、
「これはよく知られている情報だ」
「多くの人も知っているだろう」
という見積もりにつながる場合があります。
研究では、よく知っていて頭に浮かびやすい情報ほど、「ほかの人も知っているはず」と見積もりやすくなる可能性が示されています。
そのため、普段から使っている専門用語についても「説明しなくても通じる」と感じてしまう場合があります。
たとえば、職場で毎日のように使う略称は、本人にとっては思い出す努力さえ必要ない言葉です。そのため、初めて聞く人にとってどれほど分かりにくいかを意識しにくくなります。
「自分にはよく知られた情報」と「相手も知っている情報」は同じではありません。
「相手が何を知っているか」の情報が足りないこともある
知識の呪いには、自分が持っている知識だけでなく、相手について得られる情報の少なさも関係します。
相手がどこまで理解しているかを推測するには、その人についての情報が必要です。
初心者なのか、少し経験があるのか。専門用語を知っているのか。どこでつまずいたのか。
こうした情報が乏しければ、相手の知識量を正確に推測すること自体が難しくなります。
研究では、自分が新しい知識を得た後に、まだ知らない人の理解度を予測しにくくなる場合があります。その理由は自分の知識だけではなく、相手がどこまで知っているかを考えるための材料が少ないこととも関係すると考えられています。
自分が知っている情報を頭の中で差し引こうとするだけでは、相手が何を知らないのかまでは分かりません。
相手の経験や理解度を知ることも、説明のずれを小さくするために役立ちます。
知識の呪いは身近なところで起こる
知識の呪いは、研究室や専門家の世界だけにある話ではありません。
仕事を教える、料理を教わる、ウェブサービスを使うといった日常の場面でも、知っている側と知らない側の前提が食い違うことがあります。
仕事では略語や社内ルールが当たり前になる
長く働いている職場では、
「いつもの形式で」
「前回と同じ処理で」
「この後は申請を回しておいて」
といった短い指示でも意味が通じます。
しかし、新しく入った人にとっては「いつもの形式」が何なのか分かりません。
社内システムの名前や部署の略称も、数年働いている人には普通の言葉でも、初日に聞けば専門用語と変わりません。
経験者が無意識に省いている前提ほど、初心者には必要な説明であることがあります。
仕事に慣れるほど、作業の一つひとつを意識しなくても進められる場面は増えていきます。それ自体は経験を積んだ利点ですが、教える側になったときには「自分が説明せずに済ませている部分」が見えにくくなることがあります。
教える場面では途中の一段階が消えやすい
勉強やスポーツ、料理でも同じようなことが起こります。
料理に慣れた人なら「玉ねぎをきつね色まで炒める」と聞けば、火加減や色の変化をある程度想像できます。
初めて料理する人には、「どの程度の茶色なのか」「何分くらいかかるのか」「焦げた状態とはどう違うのか」が分からないかもしれません。
慣れた人は、複数の細かな作業をひとまとまりとして扱う場合があります。
そのため、本人にとっては省略している感覚さえないまま、初心者には必要な途中の説明が抜けることがあります。
「分からなければ質問して」と伝えても、初心者自身が何を質問すればよいのか分からない場合もあります。
知識の差が大きい場面では、質問が出ないことを「全部理解できた」と受け取らないほうがよいこともあるのです。
説明書やウェブサイトでも起こり得る
サービスを作った人は、そのサービスの仕組みをよく知っています。
だから、
「アカウントを連携してください」
という表示だけでも次の操作が想像できます。
初めて使う人は、
「何のアカウントなのか」
「連携すると何が起こるのか」
「後から解除できるのか」
まで知りたいかもしれません。
作る側には明白な操作でも、使う側には説明が足りない。この差も、知識の量が違う二者の間で起きるすれ違いとして考えられます。
説明する人が目の前にいないウェブサイトや説明書では、利用者がどこで止まったのかをその場で確かめられません。作る側が「説明しなくても分かる」と考えた部分ほど、初めて利用する人には大きな壁になる場合があります。
詳しい人ほど説明が下手になるとは限らない
「知識の呪い」という名前だけを見ると、知識が増えるほど説明が下手になる現象のようにも聞こえます。
しかし、専門知識を持つこと自体が問題なのではありません。
詳しい人だからこそ、初心者が知りたい疑問へ正確に答えられることもあります。
難しくなるのは、自分の中で当たり前になった前提と、相手が持っている前提の差を見落としたときです。
知識の呪いに関する研究も、すべての専門家が必ず初心者の理解を誤ると示しているわけではありません。
自分の知識が、他者の知識や作業の難しさについて予測するときに影響する場合がある、という傾向を扱っています。
専門家より中級者のほうが初心者を見積もりやすかった研究もある
専門性が高いほど、初心者についての予測まで正確になるとは限らないことを示した研究があります。
パメラ・ハインズが1999年に発表した研究では、専門家や中級者などに、初心者が課題を終えるまでに必要な時間を予測してもらいました。
その結果、知識や経験が多い人ほど初心者の所要時間を正確に予測できない傾向がみられ、中級程度の経験を持つ人のほうが初心者の成績に近い予測をした場合がありました。
これは「中級者なら必ず教えるのが上手」という意味ではありません。
また、あらゆる分野で専門家より中級者のほうが初心者を理解できると一般化することもできません。
専門性が高いほど、初心者が感じる難しさまで正確に予測できるとは限らないことを示す一例です。
少し経験がある人と長年経験を積んだ人では、同じ作業を見ても「どこが難しいか」の感じ方が違う場合があります。
経験の長さと、初心者がどこでつまずくのかを想像できることは、必ずしも同じではないのです。
「初心者になったつもり」だけでは足りないこともある
説明するとき、
「初心者の気持ちになろう」
と考えること自体は無駄ではありません。
ただ、それだけで抜けている情報をすべて見つけられるとは限りません。
説明している本人には、どの部分を無意識に省略しているのか見えにくいからです。
そこで役立つのが、頭の中で初心者を想像するだけでなく、実際の相手がどこで迷ったのかを知ることです。
たとえば、
- 説明する前に「ここまで知っていますか」と聞く
- 手順を途中から省略せず、一度書き出してみる
- 初めて使う人に試してもらい、どこで止まったかを見る
- 「分かりましたか?」だけでなく、次に何をするか相手自身の言葉で話してもらう
といった方法があります。
最後の方法は、相手を試すことが目的ではありません。
説明した側と聞いた側が、同じ内容を思い浮かべているかを知るためです。
「同期をオンにしてください」と説明して相手がうなずいていても、「同期」という言葉の意味まで同じように理解しているとは限りません。
実際に相手がどのように受け取ったのかを知ることで、自分では十分だと思っていた説明のどこに前提が隠れていたのかを見つけやすくなります。
研究では、相手の考え方が分かる具体的なフィードバックを受けた場合、その後の他者視点の見積もりに生じる偏りが小さくなった例も報告されています。
単に「正しい」「間違っている」と結果だけを伝えるのではなく、相手がどのように考えたのかまで分かる情報が、見方を修正する助けになったと考えられます。
そのため、「相手の立場になったつもり」で終わらず、実際の反応をもとに説明を直していくことが、知っている側と知らない側の差を小さくする一つの方法になります。
専門用語そのものより「説明なしで使うこと」に注意する
専門用語をすべて日常語へ置き換えればよいとも限りません。
言葉を知ったほうが、その後の説明を理解しやすくなる分野もあります。
たとえば「認知バイアス」という言葉を避け続けるより、
「物事の捉え方や判断に、一定の偏りが生じやすくなる傾向を認知バイアスと呼びます」
と最初に意味を添えれば、その後は同じ言葉を使えます。
問題になりやすいのは専門用語の存在ではなく、相手も意味を知っているという前提で説明を進めてしまうことです。
専門用語を使わない説明が必ず分かりやすいわけでもありません。聞き慣れない言葉には最初に意味を添え、その後は必要に応じて使う。そのほうが、すべてを曖昧な言い換えにするより理解しやすいこともあります。
知識が増えると「知らなかった自分」が遠くなる
何かを覚えることは、普通なら良い変化です。ところが新しい知識を得ると、その知識を持っていなかった頃の自分を正確に思い出すことが難しくなる場合があります。
答えを知ったクイズが簡単に見える。何年も使っている道具の操作を「これくらい誰でも分かる」と感じる。専門分野の言葉を一般的な言葉だと思ってしまう。こうした小さなずれの中に、知識の呪いが現れます。
しかも、長年の専門知識がなくても起こり得ます。昨日まで知らなかったことを今日覚えただけでも、まだ知らない人がどこで迷うのかを正確に想像しにくくなる場合があります。
だからといって、知識を増やすことが不利になるわけではありません。知識が増えれば、以前より理解できることも説明できることも増えていきます。
その一方で、以前は見えていなかったという事実そのものが見えにくくなることがあります。
誰かに説明していて「なぜここで分からなくなるのだろう」と感じたとき、相手に情報が足りないだけでなく、自分の側で省略している前提がないかを考えてみる。
さらに、頭の中だけで相手の理解を予想するのではなく、どこまで知っているのか、どこで迷ったのかを実際に聞いてみる。
知識の呪いという言葉を知っていると、「知っている側」と「まだ知らない側」の間にある見えにくい差へ気づきやすくなります。
参考情報
- Camerer, C., Loewenstein, G., & Weber, M. “The Curse of Knowledge in Economic Settings: An Experimental Analysis.” Journal of Political Economy.
- Fischhoff, B. “Hindsight ≠ Foresight: The Effect of Outcome Knowledge on Judgment Under Uncertainty.” Journal of Experimental Psychology: Human Perception and Performance.
- Hinds, P. J. “The Curse of Expertise: The Effects of Expertise and Debiasing Methods on Prediction of Novice Performance.” Journal of Experimental Psychology: Applied.
- Birch, S. A. J., Brosseau-Liard, P. E., Haddock, T., & Ghrear, S. E. “A ‘Curse of Knowledge’ in the Absence of Knowledge? People Misattribute Fluency When Judging How Common Knowledge Is Among Their Peers.” Cognition.
- Damen, D., van Amelsvoort, M., van der Wijst, P., Pollmann, M., & Krahmer, E. “Lifting the Curse of Knowing: How Feedback Improves Perspective-Taking.” The Quarterly Journal of Experimental Psychology.
- Tullis, J. G., & Feder, B. “The ‘Curse of Knowledge’ When Predicting Others’ Knowledge.” Memory & Cognition.
