「相手が来るのを手ぐすね引いて待つ」「手ぐすねを引いて待ち構える」。
この「手ぐすね引く」は、十分に準備を整え、相手や機会を待ち構えることを表す慣用句です。「手ぐすねを引く」のように「を」を入れる形も古くから使われています。
では、「手ぐすね」とは何なのでしょうか。
由来をたどると、弓に使われていた「薬煉(くすね)」という材料に行き着きます。さらに「引く」も、ここでは弓の弦を引っ張る意味ではなく、塗り付ける意味と考えられています。
今では弓と無関係な場面で使われる言葉ですが、その中には昔の弓と道具の扱い方が残っています。
手ぐすね引くとは「十分に準備して待ち構える」こと
「手ぐすね引く」は、十分に準備を整え、相手や機会が来るのを待ち構えることを意味します。
単に「待つ」だけではなく、「いつ来ても対応できる」「こちらの備えはできている」という状態まで含むのが特徴です。「手ぐすねを引く」とも言います。
たとえば、
- 強豪との対戦を手ぐすね引いて待つ
- 大きな商談の機会を手ぐすね引いて待つ
- 相手からの反論を予想し、手ぐすねを引いて待ち構える
といった使い方ができます。
「旅行の日を楽しみに待つ」のような場面では、少し意味がずれます。期待しているだけではなく、これから起こることに備えて準備を済ませているところまで含む言葉だからです。
「手ぐすね引く」と「手ぐすねを引く」はどちらも使える
「手ぐすね引く」と「手ぐすねを引く」のどちらが正しいのか迷うことがありますが、どちらも使われる表現です。
国語辞典には「手薬練引く」「手薬煉引く」のように、「手ぐすね」と「引く」を一まとまりの慣用句として見出しにしているものがあります。
一方、「を」を入れる形も新しい言い方ではありません。
『精選版 日本国語大辞典』に収録されている古い用例を見ると、13世紀ごろには「手ぐすね引き」のような「を」のない形があり、17世紀の『三河物語』には「手ぐすねを引」のような形も見られます。
手ぐすね引く
手ぐすねを引く
の両方が古くから使われてきました。
「昔は『を』がなく、現代になってから『を』が付いた」という変化ではありません。
「手ぐすね引いて待つ」「手ぐすねを引いて待つ」のどちらも使うことができます。
「手ぐすねする」という言い方も古くからある
「手ぐすね引く」以外に、「手ぐすねする」という形もあります。
『日本国語大辞典』には、17世紀初めの仮名草子『竹斎』などから「手ぐすねする」に当たる古い用例が収録されています。
「手ぐすねする」にも古い用例があるため、近年になって初めて現れた言い方ではありません。
ただし、現在は「手ぐすね(を)引く」の形が一般的です。
「くすね」の正体は弓に使われた薬煉
「手ぐすね引く」の背景を知る鍵になるのが「くすね」です。
漢字では「薬練」「薬煉」などと書きます。「くすね」は「くすねり」が縮まった語とされ、松脂を油で煮て練り合わせた粘着性のある材料を指します。
薬煉は、弓の弦を補強したり、弦の「中仕掛け」と呼ばれる部分を作ったりする際に使われてきました。
ただし、薬煉そのものを「手ぐすね」と呼ぶわけではありません。
辞書では「手ぐすね」を、手に薬煉を取ることや、弓を持つ手に薬煉を塗ることに関係する語として説明しています。
「手ぐすね」という名前の専用道具があったのではなく、「くすね」という材料と手の動作が結び付いた言葉です。
「引く」は「塗り付ける」という意味
「手ぐすね引く」と聞くと、「引く」は弓の弦を引くことだと思いやすいかもしれません。
しかし、ここでの「引く」は、「油を引く」「紅を引く」のように、表面へ延ばして塗り付ける意味と考えられています。
古い用法として、弓を持つ手に薬煉を塗り、滑りを止める意味も辞書に記録されています。
「手ぐすね引く」を「手+弓を引く」と分けて考えると、本来の背景とは少し違った意味に受け取ってしまいます。
「引く」が弓そのものを引く意味ではない点も、この言葉が分かりにくくなった理由の一つでしょう。
なぜ「待ち構える」という意味になった?
薬煉を扱うことは、弓を使うための準備と結び付いていました。
そこから「手ぐすね引く」は、弓を扱う態勢を整えることだけでなく、あらかじめ十分に準備して機会を待つことにも使われるようになったとされています。
『精選版 日本国語大辞典』では、弓を持つ手に薬煉を使う意味の用例が13世紀ごろから確認できます。
さらに、「十分に準備して機会を待つ」という現在につながる意味も、14世紀の『井蛙抄(せいあしょう)』に用例があります。
かなり古い時代から、
弓を扱うための具体的な準備
↓
十分に備えて相手や機会を待つ
という意味の広がりが見られます。
現在では弓を使う場面に限らず、スポーツ、仕事、交渉、競争など幅広い場面で使われています。
「決勝戦を手ぐすね引いて待つ」と言えば、ただ試合の日を待っているのではなく、相手を迎えるための準備まで整えている様子が伝わります。
「満を持す」や「首を長くして待つ」とはどう違う?
「手ぐすね引く」には似た表現がありますが、待っているときの状態が少し異なります。
「満を持す」は、十分に準備を整えたうえで、行動する好機を待つことです。「手ぐすね引く」と意味は近いものの、相手を待ち構えるだけでなく、自分が動き出すタイミングを待つ場面にも使われます。
「首を長くして待つ」は、期待しながら待つ気持ちを表します。何かに備えて準備を整えているという意味はありません。
「待ち構える」は、相手や出来事が来るのを待つことを広く表します。「手ぐすね引く」では、そこへ「十分に備えている」という意味が加わります。
たとえば、
「旅行の日を首を長くして待つ」
なら、旅行を楽しみにしている様子です。
一方、
「決勝戦を手ぐすね引いて待つ」
なら、相手を迎える準備まで整えている様子が伝わります。
同じ「待つ」でも、待っている人がどのような状態なのかによって使う表現が変わります。
まとめ
「手ぐすね引く」は、十分に準備を整え、相手や機会を待ち構えることを表す慣用句です。
国語辞典では「手薬練引く」のように「を」を入れない形で見出しになっているものがありますが、「手ぐすねを引く」の形も古くから使われています。「手ぐすね引いて待つ」「手ぐすねを引いて待つ」のどちらも使えます。
「くすね」は、松脂と油から作られ、弓の弦の補強などに使われる「薬煉」のこと。「手ぐすね」は、その薬煉と手の動作に関係する言葉です。
また、「引く」はここでは弓の弦を引っ張ることではなく、「油を引く」のように塗り付ける意味と考えられています。
弓を扱うための具体的な準備を表した言葉が、「十分に備えて機会を待つ」という意味へ広がり、現在まで使われ続けています。
参考情報
- 漢字ペディア「手〈薬煉〉引く」公益財団法人 日本漢字能力検定協会
- ジャパンナレッジ「日本語、どうでしょう? 第470回 『手ぐすねする』は誤用か?」
- 公益財団法人 全日本弓道連盟「弓道用語辞典」薬煉(くすね)
- 橋本元次郎「『手ぐすね引く』考」『人文研究』9巻2号、大阪市立大学文学会
