現存する世界最古の料理レシピとして知られているのは、紙の本ではなく、紀元前18世紀ごろの粘土板に刻まれた記録です。古バビロニア時代に、アッカド語を楔形文字(くさびがたもじ)で記したもので、現在はアメリカのイェール大学バビロニア・コレクションに収蔵されています。
粘土板に登場するのは、羊肉や鳥、野菜、香草、ビール、牛乳などを使った料理です。代表的な粘土板には25品もの煮込みや汁物が記され、4点の料理文書全体ではパイに関する記述も確認されています。
ただし、現代のレシピ本のような材料の分量や加熱時間は、ほとんど残されていません。説明が短いことから、調理経験を持つ人が使うための記録だった可能性があります。
世界最古のレシピはイェール大学に残る粘土板
イェール大学バビロニア・コレクションは、古代メソポタミアの粘土板や印章などを収蔵する研究コレクションです。1911年に設立され、文学、法律、医学、数学、商取引などに関する多くの資料を所蔵しています。
その中には、料理について記した粘土板が4点あります。すべてが同じ時代に作られたわけではなく、古バビロニア時代の3点が、現存する最古の料理レシピ群として知られています。残る1点は、それより1000年以上あとの時代に作られた資料です。
そのため「世界最古のレシピ」は、一つの料理名や一枚の粘土板だけを指す言葉ではありません。紀元前18世紀ごろに書かれた複数の料理文書をまとめて、世界最古のレシピ群と呼ばれています。
粘土板には、柔らかい粘土の表面へ葦で作った筆を押し当て、くさびに似た形の文字が刻まれました。完成した料理の絵や食卓の様子はなく、料理名や食材、短い調理手順が文字だけで並んでいます。
粘土板にはどんな料理が書かれている?
イェール大学に残る4点の料理用粘土板には、煮込み料理、スープ、パイなどが記されています。なかでもよく知られているのが「YBC 4644」と呼ばれる古バビロニア時代の粘土板です。
YBCは「Yale Babylonian Collection(イェール大学バビロニア・コレクション)」の略称です。YBC 4644は縦約16.4センチ、横約11.8センチの粘土板で、その中に25品の料理が刻まれています。
25品のうち21品は肉を使った料理
YBC 4644に記された25品の内訳は、肉や鳥を使った料理が21品、野菜を中心とした料理が4品です。
肉料理では、羊肉や鳥などを水や脂とともに鍋へ入れ、野菜や香草を加えて煮込んでいました。料理によってはビールや牛乳、大麦から作ったパンや生地を加えることもあります。
肉を使わない料理には、ネギやタマネギなどの野菜に、「ビールパン」と訳される大麦のパンを加えるものがありました。ただし、現代の思想や食習慣としての「ベジタリアン料理」と同じ意味で作られたとは限りません。
肉を使う料理と使わない料理が一枚の粘土板に並んでいることから、食材に合わせて複数の調理法が使い分けられていたことが分かります。
タマネギやニンニクが繰り返し登場する
古代の料理と聞くと、現代では見かけない食材ばかりを想像するかもしれません。しかし、粘土板にはタマネギ、ニンニク、ネギといった身近な香味野菜が何度も登場します。
香りづけにはクミン、コリアンダー、ディルなどが使われました。肉へ香味野菜や香草を加え、時間をかけて煮込む料理が多く記されています。
ビールを煮込みの材料として使うレシピも残っています。古代メソポタミアではビールが広く作られており、飲み物だけでなく料理の材料にも取り入れられていました。
牛乳や大麦の生地を加える料理もあり、食材の組み合わせは一様ではありません。現代の煮込み料理と共通する材料がある一方、完成した味や食感まで同じだったとは限りません。
すべての料理が煮込みだったわけではない
代表的なYBC 4644は、煮込みや汁物を中心に記した粘土板です。しかし、料理文書4点の内容がすべて同じだったわけではありません。
コレクション全体では、煮込み料理やスープのほか、パイに関するレシピも確認されています。残された料理文書には、異なる食材や調理法が記録されていました。
なぜ分量や調理時間が書かれていない?
バビロニアの粘土板には、食材の名前やおおまかな調理の流れが書かれています。しかし「羊肉を何グラム使う」「何分間煮込む」といった具体的な数字はほとんどありません。
その理由は確定していませんが、粘土板が料理を初めて学ぶ人のために書かれたものではなかった可能性があります。すでに調理技術を持つ人が、料理名や材料、手順の要点を確かめるために使ったとも考えられています。
現代の家庭料理でも「塩を適量加える」「柔らかくなるまで煮る」と書かれることがあります。古代バビロニアのレシピは、それよりも説明を省き、作る人の経験へ任せる部分が多い文書です。
詳しい説明がない理由を、当時の料理人なら誰でも作れたからだと決めつけることはできません。粘土板が実際にどのような場面で使われたのか、料理人が文章を直接読んでいたのかといった点も、はっきりしていないためです。
さらに、粘土板そのものが欠け、文字を読めなくなった部分もあります。アッカド語の料理用語や食材名には、ほかの資料でほとんど使われておらず、現在も意味を特定しにくい言葉が残っています。
文字を翻訳できても、完成した料理の味や見た目まで正確に知ることはできません。現代の再現料理では、残された文章をもとに、研究者や料理の専門家が不足する情報を補っています。
約3800年前の料理は現代でも作れる?
イェール大学とハーバード大学の研究者らは、粘土板の文章を読み直し、古代バビロニアの料理を現代の厨房で再現しました。
2018年には、一枚の粘土板から選んだ3品が調理されています。作られたのは、ビーツを加えた羊肉の煮込み、牛乳と穀物の生地を使った羊肉料理、ネギとタマネギに「ビールパン」と訳されるパンを加えた肉なしの煮込みです。
分量は試作を重ねながら補われた
粘土板には材料の量がないため、研究チームは試作を重ね、味や食感を確かめながら分量を決めました。古代語の研究だけでなく、化学や調理科学の知識も使われています。
当時と同じ食材を入手できない場合は、性質が近い現代の食材が使われました。欠けた文字や意味を特定できない材料もあるため、完成した料理は古代の味そのものではなく、粘土板の記述をもとにした現代的な再現です。
同じ文章を読んでも、食材の量や火加減を変えれば仕上がりは異なります。研究チームによる再現は唯一の正解ではなく、残された記述から当時の料理を探る試みといえます。
実際に調理することで、文章を読むだけでは分からなかった食材の働きや、煮込んだときの変化も検討できました。
宮殿や神殿で作られた可能性もある
粘土板に登場する食材の種類や調理工程から、料理が宮殿や神殿などで作られた可能性も示されています。複数の材料や調理技術を必要とする、特別な料理だったという見方です。
ただし、粘土板がどこで使われ、誰が料理を食べたのかは確定していません。すべてが王や神官のための料理だったと断定することもできません。
王宮や神殿向けだった可能性がある一方、タマネギやニンニク、ネギなど、現在も使われている食材が多く登場します。特別な場の料理だったとしても、材料のすべてが珍しいものだったわけではありません。
粘土板が伝える古代バビロニアの料理
料理用粘土板は、古代バビロニアの人々が毎日食べていた献立をそのまま記録したものではありません。残る4点だけで、当時の食生活全体を説明することもできません。
それでも、肉や野菜に香味野菜や香草を合わせ、パン、ビール、牛乳などを組み合わせた調理法が記録されています。料理名や材料だけでなく、食材を加える順番や下ごしらえの一部が分かる記述もあります。
食べ物そのものは時間がたつと失われてしまいます。調理法が粘土板へ文字として刻まれたことで、紀元前18世紀ごろの料理の一部が現在まで残りました。
小さな粘土板に記された短い文章は、当時使われていた食材や調理法を示す資料です。同時に、料理に関する知識を文字で残そうとした古代メソポタミアの文化も伝えています。
Q&A
まとめ
現存する世界最古のレシピ群は、紀元前18世紀ごろの古バビロニア時代に作られた粘土板です。イェール大学が所蔵する4点の料理文書のうち、古い3点が最古の資料として知られています。
代表的なYBC 4644には25品が記され、羊肉、鳥、野菜、タマネギ、ニンニク、香草、ビール、牛乳などが使われていました。一方、分量や加熱時間はほとんど残されていません。
完全な味の復元はできませんが、粘土板には約3800年前の料理に使われた食材と調理法が記録されています。短い文章でありながら、古代の料理人が扱っていた食材や、料理の知識を文字で残した文化を現在へ伝える資料です。
参考情報
- イェール・ピーボディ博物館「Babylonian Collection(バビロニア・コレクション)」
- イェール大学「Material glory of Yale Babylonian Collection comes alive in new exhibit」
- イェール大学「What did ancient Babylonians eat? A Yale-Harvard team tested their recipes」
- イェール大学バビロニア・コレクション「Babylonian Cooking(バビロニア料理)」
- Cuneiform Digital Library Initiative「A Babylonian Cookbook(YBC 4644)」
