不可能物体とは、平面上では立体に見えても、描かれた構造のまま三次元空間には作れない形です。代表例には、三本の角柱がつながったように見える三角形や、上り続けながら出発地点へ戻る階段があります。
一部分だけを見れば、柱や階段として違和感なく受け取れます。ところが、線や辺を最後までたどると前後関係や高さが合わなくなります。ありえない形だと理解した後も立体感が消えにくいところに、人が平面から奥行きを読み取る仕組みの不思議が表れています。
不可能物体とはどのようなもの?
不可能物体は、部分ごとには普通の立体として理解できるものの、全体を一つの空間につなげようとすると矛盾が生じる形です。二次元の紙や画面には描けますが、絵が示す接続や前後関係を保ったまま実物にすることはできません。
「不可能図形」という呼び方も広く使われています。文脈によっては、現実には成立しない立体を不可能物体、それを平面上に表した図を不可能図形と呼び分けることがあります。ただし、用語の使い方が完全に統一されているわけではなく、図そのものを不可能物体と呼ぶ場合もあります。
不可能物体は、単に矛盾した線を並べただけの絵ではありません。一つひとつの角や接続部分は、柱や箱として受け取れるように描かれています。ところが、三角形の辺などを一周してたどると、手前にあるはずの部分が奥へ回り込み、全体の前後関係が合わなくなります。
部分を見る限りは納得できるのに、全体では成立しません。この局所的な分かりやすさと全体の矛盾が同居していることが、不可能物体の大きな特徴です。
実在しない形がなぜ立体に見えるのか
人は平面に描かれた線を見ると、重なり方や角度、陰影などを手がかりに奥行きを読み取ります。紙の上にあるのは平らな線や色だけでも、柱や階段に似た形があれば立体として受け取ります。
不可能物体では、この奥行きの手がかりが部分ごとに成立しています。ある角だけを見れば、二本の棒が前後につながっているように見えます。隣の角にも目立った違和感はありません。それぞれの見え方を一つにつなげようとすると、全体の前後関係が合わなくなります。
現実には作れないと理解していても、目は部分ごとの線を柱や階段として読み取ります。そのため、矛盾に気づいた後も立体感が残ります。
多義図形とは見え方が異なる
不可能図形は、見るたびに向きが切り替わる多義図形とも異なります。
多義図形の代表例には、手前と奥の向きが入れ替わって見えるネッカーの立方体があります。見え方は複数ありますが、それぞれの解釈は立体として成立します。
一方、不可能図形は、正しい向きを選べば矛盾が解消するものではありません。部分ごとの奥行きを一つにつなぐと、前後関係や高さが合わなくなります。
つまり、多義図形は複数の立体として見ることができる図です。不可能図形は立体に見えるにもかかわらず、どの見方を選んでも全体が成立しない図といえます。
不可能物体はどのように広まったのか
現在の不可能図形につながる早い例を残した人物として、スウェーデンの芸術家オスカー・ロイテルスバルト(Oscar Reutersvärd)が知られています。
ロイテルスバルトが描いた不可能三角形
ロイテルスバルトは1934年、複数の立方体を三角形状につないだ図を描きました。部分だけなら立方体が順番に並んでいるように見えますが、全体では三辺の奥行きが矛盾します。現在知られている不可能三角形につながる代表的な先行例です。
1937年には、進み続けても同じ高さへ戻る不可能階段も描きました。しかし、これらの作品は当初から世界的に知られていたわけではありません。
後に不可能三角形と階段を発表したロジャー・ペンローズが、ロイテルスバルトの先行作品を知ったのは1984年だったとされています。ペンローズ親子はロイテルスバルトの作品を知らないまま、似た図形へ別の経緯でたどり着きました。
ペンローズ親子とエッシャーの関係
イギリスのライオネル・ペンローズと息子のロジャー・ペンローズは、不可能三角形と終わりのない階段を考案し、1958年に心理学誌で発表しました。
ロジャー・ペンローズは1954年、オランダの版画家M.C.エッシャーの展覧会を訪れました。現実には成立しない空間を描いた作品に刺激を受け、父とともに不可能図形を考えたとされています。
ペンローズ親子が論文をエッシャーへ送ると、その図形は今度はエッシャーの作品へ取り入れられました。不可能階段は1960年の『上昇と下降』に、不可能三角形の構造は1961年の『滝』に使われています。
エッシャーはそれ以前から、前後関係が入れ替わる空間を作品に取り入れていました。1958年の『物見の塔』には、不可能な立方体と、その構造を建物へ広げた表現が登場します。
エッシャー作品に刺激を受けたペンローズ親子が不可能図形を発表し、その図形が後にエッシャーの作品へ取り入れられました。芸術から図形へ、図形から再び芸術へと発想が受け渡されたことになります。
代表的な不可能物体にはどのような種類があるのか
不可能物体には、三角形や階段のほかにも多くの種類があります。見た目は異なりますが、部分では普通の立体に見え、全体をたどるとつじつまが合わなくなる点は共通しています。
ペンローズの三角形
三本の角柱がそれぞれ直角に曲がり、閉じた三角形を作っているように見える図形です。どの角も、それだけを見れば普通につながっています。しかし、三辺を同じ三次元空間で接続することはできません。
1934年にロイテルスバルトが先行する形を描き、ペンローズ親子も後に別の経緯で考案しました。現在は「ペンローズの三角形」という名前が広く定着しています。
ペンローズの階段
四辺が階段で囲まれ、同じ方向へ進むと上り続けるように見える図形です。ところが、一周すると出発地点へ戻ります。
すべての段を上っているなら、出発地点より高い場所に着くはずです。それでも同じ場所へ戻るため、一周する前後で高さが合わなくなります。反対方向へ進めば、今度は下り続けながら元の場所へ戻るように見えます。
不可能な三つまた
一方の端では三本の丸い棒に見えるのに、反対側では二本の四角い柱につながっているように見える図形です。「不可能なフォーク」などの呼び方でも知られています。
棒と背景の境界線が途中で入れ替わり、三本から二本へ変化したように見えます。どこで一本が消えたのかを探しても、はっきりした分岐点は見つかりません。
この図形は1964年に心理学誌で紹介され、広く知られるようになりました。心理学誌で紹介される以前の詳しい経緯については、あまり知られていません。
不可能な立方体
立方体の骨組みに見えるものの、柱が交差する場所をたどると、前後関係が途中で入れ替わる図形です。ある棒が別の棒より手前に見えた直後、別の場所では奥へ回り込んでいます。
エッシャーの『物見の塔』では、不可能な立方体を持つ人物と、その構造を拡大したような建物が描かれています。小さな模型と大きな建築物の両方に、同じ空間上の矛盾が使われています。
不可能物体は実物として作れるのか
絵と同じ構造を、あらゆる方向から成立する立体として作ることはできません。ただし、見る位置を限定すれば、不可能物体のように見える模型は作れます。
特定の視点からだけ成立する模型
不可能三角形の模型では、三本の棒が実際には離れていたり、奥行き方向へ大きく曲がっていたりします。決められた位置から見ると棒の端が重なり、閉じた三角形のように見えます。
視点を横へずらすと、部品が離れていることや、棒が大きく曲がっていることが分かります。不可能な立体そのものを作ったのではなく、特定の方向から見たときに不可能図形と同じ平面像ができるよう設計されているのです。
模型によっては、見る方向だけでなく距離や目の高さも合わせる必要があります。この仕組みは彫刻や舞台装置、映像、写真作品などにも応用されています。
矛盾を見つけるときの注目点
不可能物体を見たときは、一本の辺や階段を順番に目で追うと矛盾を見つけやすくなります。
三角形なら、一本の角柱が手前と奥のどちらを通っているかを確認します。階段なら、一段ずつ上っているのか下っているのかを追い、出発地点へ戻ったときの高さを比べてみましょう。
柱が交差する場所も注目したい部分です。上では手前にある柱が、下では奥へ移っている場合があります。接続部分を手で隠しながら片側ずつ見ると、部分は普通の立体なのに、全体ではつながらないことが分かりやすくなります。
矛盾が見つかるまで線や階段をたどる時間も、不可能物体を眺める楽しさの一つです。
Q&A
まとめ
不可能物体は、部分ごとには普通の立体に見えるものの、全体を一つの三次元空間には組み立てられない形です。
1934年にはオスカー・ロイテルスバルトが不可能三角形の先行例を描き、ペンローズ親子は1958年に不可能三角形と階段を発表しました。その後、M.C.エッシャーの作品にも取り入れられ、心理学や数学、芸術にまたがる表現として知られるようになります。
特定の視点から不可能物体に見える模型は作れますが、角度を変えると部品の隙間や変形が現れます。ありえないと理解しても立体感が残るところに、人が平面から奥行きを読み取る仕組みの不思議が表れています。
参考情報
- Penrose, L. S. and Penrose, R.「Impossible Objects: A Special Type of Visual Illusion」British Journal of Psychology, 1958
- エッシャー・イン・ザ・パレス「Oscar Reutersvärd」
- エッシャー・イン・ザ・パレス「Ascending and Descending」
- エッシャー・イン・ザ・パレス「Belvedere」
- エッシャー・イン・ザ・パレス「Waterfall」
- M.C.エッシャー公式サイト「Impossible Constructions」
- Schuster, D. H.「A New Ambiguous Figure: A Three-Stick Clevis」PubMed
- 「Evidence for similar early but not late representation of possible and impossible objects」PubMed Central
