公爵、侯爵、伯爵――こうした爵位を聞くと、ヨーロッパの王侯貴族や物語の世界を思い浮かべるかもしれません。しかし、かつての日本にも公爵から男爵までの爵位が存在していました。
日本で爵位が使われたのは、明治時代から1947年まで「華族(かぞく)」という身分制度が存在した時代です。ただし、江戸時代の大名がそのまま「伯爵」「男爵」と呼ばれていたわけではありません。華族が生まれたのは1869年で、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵という五つの爵位が制度化されたのは1884年です。
日本ではなぜ華族という身分が作られ、五つの爵位はどのように使われていたのでしょうか。制度の成立から1947年の廃止までをたどります。
日本にも公爵や伯爵などの爵位が存在した
近代日本には、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵という五つの爵位が実際に存在しました。
高い順に並べると、次のようになります。
| 順位 | 爵位 | 読み |
|---|---|---|
| 1 | 公爵 | こうしゃく |
| 2 | 侯爵 | こうしゃく |
| 3 | 伯爵 | はくしゃく |
| 4 | 子爵 | ししゃく |
| 5 | 男爵 | だんしゃく |
ただし、この五爵が最初から存在していたわけではありません。
日本で華族という身分が成立したのは1869年(明治2年)です。明治維新によって社会制度が大きく変化する中、それまでの公卿と諸侯が華族と呼ばれるようになりました。
華族制度は1869年から1947年まで78年間存続しました。当時、華族は「皇室の藩屏(はんぺい)」とも位置付けられていました。「藩屏」は、皇室を支える存在としての位置付けを示す言葉として使われていたものです。
華族が成立した1869年の時点では、まだ公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵という五つの区分はありませんでした。
公・侯・伯・子・男の五爵制が定められたのは、それから15年後の1884年(明治17年)7月7日です。華族令が公布され、華族を五つの爵位に分ける制度が設けられました。
1884年の華族令では、爵位を男系子孫が世襲する仕組みも定められています。その後、憲法や民法などの制定を受け、1907年(明治40年)には新しい華族令へ改められました。
江戸時代の大名を、その時代から「○○伯爵」「○○男爵」と呼んでいたわけではありません。大名と華族の爵位は時代も制度も異なり、旧大名家などが明治時代になって華族へ組み込まれたことで両者につながりが生まれました。
公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵は何が違った?
五爵の最も分かりやすい違いは、その序列です。
公爵が最上位で、侯爵、伯爵、子爵と続き、男爵が第5位になります。ただし、「公爵なら必ず最も広い土地を持っていた」「男爵なら財産が少なかった」といった財産ランキングではありません。
同じ華族の中に異なる爵位があり、家の由緒やそれまでの家格、旧藩の規模、国家への功績などが爵位と関係していました。
公爵は五爵の最上位
公爵は五爵の中で最も高い爵位です。
1884年の叙爵基準では、旧公家のうち摂家にあたる家や徳川宗家などが公爵の対象とされ、国家に大きな功績がある人物にも公爵を授ける道が設けられていました。
ただし、公爵と皇族は別です。公爵は華族の最上位であり、「公爵だから王族・皇族」という意味ではありません。
侯爵は公爵に次ぐ第2位
侯爵は公爵の一つ下に位置する第2位の爵位です。
1884年の叙爵基準では、旧公家の清華家、徳川旧三家、一定規模以上の旧大名家などが侯爵の対象に含まれていました。また、国家への功績によって侯爵となる場合もありました。
公爵と侯爵の違いは、財産や領地の広さだけで決められていたわけではありません。
伯爵は五爵の中央
伯爵は公爵・侯爵に次ぐ第3位で、子爵・男爵より上に位置します。
1884年の叙爵基準では、一部の旧公家、徳川旧三卿、一定規模の旧大名家などが伯爵の対象になりました。
五爵を順番に並べると中央に位置しますが、「中くらいの財産を持つ家」という意味ではありません。あくまで華族内部での爵位上の順位です。
子爵は伯爵と男爵の間
子爵は五爵の第4位で、伯爵より下、男爵より上です。
「子爵」の「子」から伯爵の子どもを表すようにも見えますが、そのような制度ではありません。伯爵の息子が自動的に子爵になるのではなく、子爵そのものが独立した爵位でした。
旧公家や旧大名家の中にも子爵となった家がありました。
男爵も華族の爵位の一つ
男爵は五爵の第5位です。
「五爵の最下位」と表現されることがありますが、これはあくまで華族の爵位の中で第5位という意味です。男爵も華族であり、一般国民と同じ身分だったわけではありません。
1884年の叙爵基準では、明治維新後に華族へ列せられた人や国家に功績のある人物なども男爵の対象となりました。
公爵から男爵までは、一般社会全体を5段階に分けた制度ではなく、華族という身分の内部に設けられた五つの爵位でした。
爵位は何を基準に決めていた?
五爵の違いは序列だけではなく、どの家や人物にどの爵位を与えるかについても一定の基準が設けられていました。
1884年の五爵制導入時には「叙爵内規」と呼ばれる基準がありました。旧公家では摂家・清華家といった従来の家格や官職歴など、旧大名家では旧藩の規模や「現米(げんまい)」と呼ばれる収入規模の指標などが爵位を分ける材料になっていました。
たとえば叙爵内規では、旧大名家について、現米15万石以上の旧大藩知事を侯爵、現米5万石以上の旧中藩知事を伯爵、それより小規模な旧藩知事などを子爵とする区分が置かれていました。
ただし、こうした基準だけですべての叙爵が決まったわけではありません。国家への功績などが考慮される場合もありました。
旧公家の場合も一律ではなく、従来の家格などによって異なる爵位が与えられました。
さらに、旧公家や旧大名だけが華族になったわけでもありません。明治以降、国家への功績を理由として新たに爵位を与えられ、華族となった人物や家もありました。
そのため、「大名だった人は全員伯爵」「財産が多ければ公爵」といった仕組みではありません。従来の家格だけでなく、明治以降の功績によって爵位を受ける人もいた点が華族制度の特徴です。
五爵は政治にも関係し、1947年に廃止された
公爵から男爵までの違いは、名称上の順位だけではなく、明治憲法下の政治制度にも表れていました。
帝国議会には衆議院と「貴族院」があり、貴族院には皇族や華族のほか、勅任議員、多額納税者から選ばれた議員などが参加していました。
華族でも爵位によって議員になる方法が異なり、公爵・侯爵は選挙を経ずに議席を持つ仕組みでした。一方、伯爵・子爵・男爵については、それぞれ同じ爵位を持つ人々の中から互選によって議員が選ばれていました。
1890年(明治23年)7月10日に行われた第1回の伯爵・子爵・男爵議員選挙では、伯爵15人、子爵70人、男爵20人が選出されています。
五爵の違いは、当時の政治制度にも表れていました。
なお、貴族院の制度や議員資格は存続期間中に改正されているため、年齢などの細かな条件は時期によって異なります。
華族制度は1947年まで続いた
華族制度は最初から最後まで同じ仕組みだったわけではありません。大きな流れを見ると、次のように変化しています。
1869年:公卿・諸侯を華族とする
1884年:華族令で五爵制を導入
1890年:帝国議会が開会し、華族が貴族院に参加
1947年:日本国憲法の施行に伴い華族制度が廃止
制度の大きな転機となったのが、第二次世界大戦後に施行された日本国憲法です。
1947年5月3日に施行された日本国憲法第14条第2項には、
華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
と定められています。
これにより、華族という法的な身分と、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵という日本の爵位制度はなくなりました。
現在の日本に爵位はある?西洋の爵位との違い
現在の日本には、華族制度に基づく法的な爵位はありません。
かつて公爵や伯爵だった家の子孫であっても、現在の法律上「公爵」「伯爵」という身分を世襲しているわけではありません。「旧華族」「旧公爵家」といった表現が使われることはありますが、過去の家系や歴史的な出自を示すもので、現在の法的な貴族身分を意味するものではありません。
一方、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵という日本語は、西洋の爵位を表す際にも使われています。
英国の代表的な爵位を高い順に並べると、次のようになります。
| 順位 | 英国の爵位 | 日本語での一般的な訳 |
|---|---|---|
| 1 | Duke(デューク) | 公爵 |
| 2 | Marquess(マーキス) | 侯爵 |
| 3 | Earl(アール) | 伯爵 |
| 4 | Viscount(バイカウント) | 子爵 |
| 5 | Baron(バロン) | 男爵 |
なお、欧州大陸などのCount(カウント)に相当する称号も、日本語では一般に「伯爵」と訳されます。
日本の五爵と英国の爵位は日本語ではきれいに対応しているように見えますが、制度そのものが同一だったわけではありません。
英国の爵位は長い歴史の中で形成されてきたのに対し、日本の五爵制は1884年に制度化されました。また、ヨーロッパでも国や地域によって称号、序列、権利、相続方法などには違いがあります。
小説や漫画で「公爵」「伯爵」と書かれていても、それだけで明治日本の華族や英国の制度と同じ仕組みだとは限りません。作品独自の設定として使われている場合もあります。
まとめ
日本にも、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵という爵位が実際に存在していました。
ただし、江戸時代から五爵があったわけではありません。1869年に公卿や諸侯を中心として華族という身分が成立し、1884年の華族令によって公爵→侯爵→伯爵→子爵→男爵の五爵制が導入されました。
爵位には旧公家の家格や旧大名家の規模、国家への功績などが関係し、貴族院では爵位によって議員になる仕組みにも違いがありました。
華族制度は1947年の日本国憲法施行によって廃止され、現在の日本に法的な爵位制度はありません。華族制度を知ると、公爵や伯爵という言葉が近代日本でどのように使われていたのかも理解しやすくなります。
参考情報
- 国立公文書館「近代国家 日本の登場―12.華族制度」
- 国立公文書館「明治17年(1884)7月|華族令が制定される」
- 国立国会図書館「衆議院議員・貴族院議員の選出」
- 国立国会図書館「帝国議会の運営と会議録をめぐって」
- 衆議院「日本国憲法について(第9版)」
- House of Commons Library「Peerages and membership of the House of Lords」
- 国立国会図書館デジタルコレクション所収 谷沢弘毅「高額所得者の分布に関する戦前・戦後比較」『日本経済研究』
