ネットゲームの黎明期はいつ?1970年代からMMOへ続く歴史

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今では、離れた場所にいる人と同じゲーム世界で遊ぶことは珍しくありません。オンライン対戦だけでなく、何百人、何千人というプレイヤーが一つの世界に参加するゲームも身近な存在になりました。

しかし、ネットゲーム(オンラインゲーム)の歴史をたどっていくと、その原型は家庭にインターネットが普及するよりもはるかに前、World Wide Webさえ存在しなかった時代までさかのぼります。

「ネットゲームの始まり」を一つの作品や年だけで決めるのは簡単ではありません。

複数人で遊ぶコンピュータゲームまで含めれば1960年代、離れた端末同士をつないで対戦するゲームなら1970年代前半、多人数が一つの仮想世界を共有する仕組みなら1970年代末が重要な節目です。さらに、商用オンラインRPGや現在のMMORPGにつながる形は、1980~1990年代を通して段階的に発展しました。

ネットゲームの黎明期を広く捉えるなら1970年代。その後20年以上をかけて、大勢が一つの世界で遊ぶMMOの姿が形作られていったと考えると、現在まで続く歴史の流れが見えてきます。

目次

ネットゲームの黎明期は1970年代までさかのぼる

ネットゲームが登場するより前から、複数人で遊ぶコンピュータゲームは存在していました。

代表例が、マサチューセッツ工科大学(MIT)のPDP-1で作られた『Spacewar!(スペースウォー!)』です。

Computer History Museumによると、『Spacewar!』はSteve Russell、Martin Graetz、Wayne Wiitanenによって1961年に構想されました。最初の版をRussellが制作し、1962年春にはPeter Samson、Dan Edwards、Martin Graetzらによって大きな改良が加えられています。2人がそれぞれ宇宙船を操作し、相手を攻撃する非常に早い時期の対戦型コンピュータゲームでした。

ただし、『Spacewar!』は現在いうネットゲームではありません。

2人のプレイヤーが同じコンピュータを使って遊ぶ仕組みであり、離れた場所にある端末からネットワークを経由して同じゲームへ参加するものではなかったからです。

コンピュータゲームの「多人数プレイ」と「ネットワークを利用した多人数プレイ」は、ネットゲームの歴史を考えるうえでは分けておく必要があります。

1973年の『Empire』はネットワーク対戦ゲームの最初期の例

ネットゲーム史で重要な舞台の一つになったのが、教育用コンピュータシステムPLATO(プラトー)です。

1973年、John DaleskeはPLATO上で『Empire(エンパイア)』を開発しました。

Computer History MuseumはDaleskeについて、『Empire』を1973年に開発した人物として紹介し、同作をネットワーク型の多人数アリーナシューティングゲームの非常に早い例と位置づけています。

映像も通信環境も現在のオンラインゲームとは大きく異なります。

それでも、別々の端末を使うプレイヤーがネットワークを介して同じゲームへ参加し、リアルタイムで競うという遊び方は1970年代前半には実現していました。

「オンラインゲームは家庭にインターネットが来てから生まれた」と考えると、実際の歴史より20年以上遅く見積もることになります。

『Maze War』も1973~1974年にネットワークゲームへ発展した

同時期に忘れてはいけないのが『Maze War(メイズ・ウォー)』です。

その原型は1973年ごろ、NASA Ames Research CenterでSteve Colley、Greg Thompson、Howard Palmerらによって作られました。

最初は一人称視点で迷路を探索するプログラムでしたが、複数のコンピュータを接続してプレイヤー同士が同じ迷路に入り、互いを撃つ仕組みへ発展します。

さらにGreg ThompsonがMITへ移った後、1974年にはDave Leblingらとともにネットワーク機能が拡張され、複数人が初期のARPANETを通して参加できる形になりました。ACMIは最大8人が遠隔地から参加できた初期のネットワークゲームとして紹介しています。

ここが、「世界初のネットゲーム」を簡単に一作品へ決められない理由の一つです。

『Empire』と『Maze War』は開発環境も仕組みも異なります。また、「2台のコンピュータを直接つないだ段階」をネットゲームと考えるのか、「広域ネットワークを利用した段階」からネットゲームと考えるのかでも答えが変わります。

そのため、1970年代前半には複数の場所でネットワークを利用したゲームが生まれ始めていたと捉えるのが最も分かりやすいでしょう。

ネットゲームの原型はWorld Wide Webよりも古い

ここで区別しておきたいのが、「World Wide Web」と「コンピュータネットワーク」です。

ティム・バーナーズ=リー(Tim Berners-Lee)がCERNでWorld Wide Webを考案したのは1989年です。1990年末までには、最初のWebサーバーとブラウザが動作していました。

『Empire』や『Maze War』は、それより十数年前です。

ただし、「ネットゲームはインターネットより古い」と単純に言い切るのも正確ではありません。

PLATOは独自のコンピュータシステムとネットワークを利用しており、現在の家庭で利用するインターネットと同じ環境ではありません。一方、『Maze War』は後にARPANETでも動作するようになりました。

つまり、現在のインターネット、ARPANET、PLATOなどをすべて同じものとして扱うべきではありません。

より正確に表現するなら、コンピュータネットワークを使って離れた場所にいる人と遊ぶゲームは、World Wide Webが生まれるより前から存在していたということになります。

1978年のMUDから多人数で共有する仮想世界へ

1970年代前半のネットワークゲームでは「離れたプレイヤー同士が対戦する」という形が現れました。

そこからさらに、後のオンラインRPGへ大きな影響を与える考え方が登場します。

それがMUDです。

イギリスのエセックス大学では1978年、ロイ・トラブショー(Roy Trubshaw)がMUDの開発に着手しました。

リチャード・バートル(Richard Bartle)の回想によると、TrubshawがMUDを作り始めたのは1978年10月ごろです。Bartleも間もなく開発に加わり、二人によって世界やゲーム内容が発展していきました。エセックス大学も、BartleとTrubshawが1978年にMUDを共同制作したことをオンラインゲーム史上の重要な業績として紹介しています。

MUDは「Multi-User Dungeon(マルチユーザー・ダンジョン)」に由来する名称です。

当時は現在の3Dゲームのような映像ではなく、場所や出来事が文章で表示されました。プレイヤーは文字の命令を入力して移動したり、周囲を調べたり、ほかのプレイヤーと交流したりします。

画面だけを見れば、現在のMMORPGとは似ても似つきません。

しかし仕組みに注目すると、複数人が同じ仮想空間へ入り、世界を探索しながら他のプレイヤーとも関わるという重要な特徴がすでに見られます。

ネットゲームの歴史では、映像が豪華になったことだけが進化ではありません。

「ネットワークの向こう側に対戦相手がいる」という段階から、「ネットワーク上に一つの世界が存在し、そこへ人々が集まる」という考え方へ進んだことも大きな変化でした。

MMOとMMORPGは同じ意味ではない

ゲーム史をたどる際によく登場する「MMO」と「MMORPG」は、厳密には同じ意味ではありません。

MMO(Massively Multiplayer Online、大規模多人数同時参加型オンラインゲーム)は、多数のプレイヤーがオンライン上のゲーム環境へ参加するタイプを表す広い呼び方です。

その中でもRPGに当たるものが、MMORPG(Massively Multiplayer Online Role-Playing Game、大規模多人数同時参加型オンラインRPG)です。

つまり、MMORPGはMMOの一種と考えると理解しやすいでしょう。

ただし、「何人以上なら必ずMMO」と決められる世界共通の単純な人数基準があるわけではありません。

一般的には、大勢のプレイヤーがネットワークを通じて参加し、ゲーム世界やサーバー上の環境を共有することが重要になります。

一方、数人だけで一つの部屋を作って協力・対戦するオンラインゲームまで、すべてMMOと呼ばれるわけではありません。

また、1970~1980年代の作品が当時から「MMORPG」と呼ばれていたわけでもありません。

The Strong National Museum of Playは、Richard Garriottが1997年、『Ultima Online』を説明する際に「massively multiplayer online role-playing game」という言葉を用いたと紹介しています。

そのためMUDや『Island of Kesmai』などについて「初期MMORPG」と説明する場合、それは後から成立したジャンルの基準で過去の作品を分類している面もあります。

「当時からMMORPGと呼ばれていた作品」と「現在から振り返るとMMORPGの系譜に入る作品」は、分けて理解したほうが歴史を正確に捉えられます。

1985年には『Island of Kesmai』が商用オンラインRPGの重要作になった

MUDが登場した後も、オンラインRPGが一気に現在の姿になったわけではありません。

1980年代から1990年代前半にかけて、商用化、多人数化、グラフィック化が少しずつ進んでいきます。

1985年には『Island of Kesmai(アイランド・オブ・ケスマイ)』が登場しました。

The Strong National Museum of Playによると、同作では最大100人が同時に遊ぶことができ、現在から振り返った分類では最初の商用MMORPGとされています。

100人という人数は、現在の大規模オンラインゲームと比べれば少なく感じるかもしれません。

しかし、家庭の高速インターネット回線が存在しなかった時代です。通信速度やコンピュータの性能に大きな制約がある中で、多くの利用者を一つのオンラインRPGへ参加させること自体が大きな挑戦でした。

1986年の『Habitat』は「アバターで過ごす仮想空間」を示した

オンラインRPGとは少し異なる方向から、後のオンライン世界へ大きな影響を与えた存在が『Habitat(ハビタット)』です。

LucasfilmによるHabitatの開発は1985年に始まりました。

QuantumLinkというCommodore 64向けオンラインサービスで利用することを前提に作られ、1986年には試験的な運用が行われています。開発者による記録でも、1985年に開発を開始したことが説明されています。

Habitatでは、利用者が画面上のキャラクター、つまりアバターを操作します。

グラフィックで描かれた仮想空間を歩き、ほかの利用者と会話したり、物を扱ったりしながら同じ世界で過ごすことができました。

MUDが文字によって世界を表していたのに対し、Habitatでは「自分の分身を画面上で動かす」という体験がより視覚的になります。

Habitatを典型的なMMORPGと同一視する必要はありません。

重要なのは、「ゲームに勝つためだけに接続する」のではなく、「自分の分身で仮想空間へ入り、そこにいる人々と交流する」という考え方を早い段階で形にしたことです。

現在のオンラインゲームだけでなく、アバターを使った仮想コミュニティや後の仮想世界文化を考えるうえでも重要な存在です。

1991年の『Neverwinter Nights』ではギルドやチャットも発展した

1991年にはAOL上で『Neverwinter Nights(ネヴァーウィンター・ナイツ)』がサービスを開始します。

The Strong National Museum of Playは、同作を初期のグラフィカルMMORPGを代表する作品として紹介しています。

サービス開始時には1サーバーあたり50人が参加できました。

通信速度が非常に限られていた時代に、ゲーム内で起きるプレイヤーの行動だけでなく、チャットの通信まで同時に処理する必要がありました。

さらにプレイヤー同士が協力して集団を作る文化が発展し、現在のMMORPGでも一般的なギルドの形成につながっていきます。

AOLが1997年にサービスを終了した時点では、加入者数が10万人を超えていたとされています。

なお、1991年のAOL版『Neverwinter Nights』は、2002年に発売された同名のRPGとは別の作品です。

文字だけだった共有世界にグラフィックが加わり、大学などの限られたコンピュータ環境だけではなく、料金を払って利用する商用オンラインサービスへ広がっていった時期でした。

1990年代後半にMMORPGの基本的な形が整った

1990年代後半になると、インターネットの一般利用が広がるのと並行して、3D空間や大規模な共有世界を備えたオンラインRPGが相次いで登場します。

ネットゲームの黎明期からMMORPGの成立までを年代順に整理すると、次のようになります。

年作品・出来事ネットゲーム史での位置づけ
1961~1962年『Spacewar!』2人用コンピュータゲームの非常に早い例
1973~1974年『Maze War』ネットワーク型多人数ゲームの最初期
1973年『Empire』PLATO上の初期ネットワーク対戦ゲーム
1978年MUD多人数で共有する仮想世界の初期例
1985年『Island of Kesmai』初期の商用オンラインRPG
1985~1986年『Habitat』アバターで参加するグラフィカルな仮想空間
1991年『Neverwinter Nights』グラフィカルなオンラインRPGが発展
1995~1996年『Meridian 59』3D大規模オンラインRPGの初期例
1997年『Ultima Online』MMORPGの大規模商業化を後押し
1998年『Lineage』韓国MMORPG史の重要作
1999年『EverQuest』3D MMORPGの代表作
2000年『ファンタシースターオンライン』家庭用ゲーム機でオンラインRPGを広めた重要作

こうして見ると、一つの作品が突然「MMORPG」というゲーム形式を完成させたわけではないことが分かります。

多人数プレイ、ネットワーク対戦、共有世界、商用サービス、アバター、チャット、ギルド、グラフィック、3D空間といった要素が別々の作品で試され、それらが徐々に組み合わされて現在のオンラインゲームへ近づいていったのです。

『Meridian 59』は1995年にオンライン公開、1996年に製品化された

MMORPG史で重要な作品の一つが『Meridian 59(メリディアン59)』です。

開発者Andrew Kirmseによる公式史では、1995年12月に一般向けのアルファ版がオンラインで公開されました。その後、1996年9月にThe 3DO Companyから製品版が発売されています。

資料によって「1995年の作品」「1996年の作品」と表記が分かれる場合がありますが、これは一般公開と商用製品版発売の時期が異なるためです。

同作は大規模多人数オンラインゲームの最初期の一つであり、3Dエンジンを使ったオンラインRPGとしても非常に早い例でした。

文字や静止画を中心に表現されていた共有世界から、自分のキャラクターが3D空間を歩き、そこに他のプレイヤーも存在するという現在のMMORPGに近い見た目へ近づいていきます。

『Ultima Online』はMMORPGを大きな商業ジャンルへ押し上げた

1997年9月には『Ultima Online(ウルティマ オンライン)』が登場しました。

『Ultima Online』を無条件に「世界初のMMORPG」とするのは適切ではありません。

それ以前にもMUD、『Island of Kesmai』『Neverwinter Nights』『Meridian 59』など、MMORPGにつながる作品が存在していたからです。

一方、商業的な普及規模では非常に重要な節目になりました。

Electronic Artsによると、『Ultima Online』は1997年9月にサービスを開始し、MMORPGとして初めて加入者10万人に到達しました。

冒険や戦闘だけでなく、アイテムを作る、プレイヤー同士で取引する、家を持つなど、仮想世界の中でさまざまな活動を行えることも大きな特徴でした。

これはMMORPGの方向性を考えるうえで重要な変化です。

単に「ネットにつないで大勢で敵を倒すゲーム」ではなく、一つの世界の中で、それぞれのプレイヤーが異なる役割や過ごし方を持てるゲームとしてMMORPGが広く認識されていったからです。

1998年には韓国で『Lineage』が正式サービスを開始した

MMORPGの発展は米国やヨーロッパだけで起きたものではありません。

韓国では1998年9月、『Lineage(リネージュ)』の正式サービスが始まりました。

NCSOFTの公式資料でも、1998年9月に正式サービスが開始されたことが確認できます。

その後、韓国ではオンラインゲーム市場が大きく成長していきます。

『Lineage』は1990年代後半の韓国MMORPGを代表する作品の一つであり、アジアにおけるオンラインゲーム文化の発展を考えるうえでも欠かせません。

欧米作品だけを追っていると、ネットゲーム史は米国やヨーロッパを中心に進んだように見えるかもしれません。

しかし1990年代末には、北米・欧州・アジアでオンラインゲーム市場がそれぞれ大きく動き始めていたのです。

1999年の『EverQuest』は3D MMORPGの代表作になった

1999年には『EverQuest(エバークエスト)』が登場しました。

3D空間を自分のキャラクターとして歩き回り、ほかのプレイヤーと協力しながら冒険するMMORPGとして広く知られるようになります。

Computer History Museumによると、『EverQuest』は世界で50万人近いプレイヤーを集めました。

1970年代末のMUDでは文章によって表現されていた共有世界が、約20年後には大勢のプレイヤーが3D空間を歩き回る世界へと変わったことになります。

ただし、この変化は単純に「文字のゲームが3Dになった」というだけではありません。

MUDにあった共同探索やコミュニケーション、Habitatに見られたアバターと仮想空間、『Neverwinter Nights』で発展したギルド、『Ultima Online』に見られた生活や経済といった要素が、少しずつ一つのゲームジャンルへ集約されていきました。

2004年には『World of Warcraft(ワールド・オブ・ウォークラフト)』が登場し、MMORPGはさらに巨大な市場へ成長していきます。The Strong National Museum of Playも、同作が2004年の発売後にMMORPGをより広い層へ普及させた重要作として位置づけています。

ただし「ネットゲームの黎明期」という視点で見るなら、1990年代末までに、大規模な共有世界へ多数のプレイヤーが参加するというMMORPGの基本的な姿はかなり整っていたと考えられます。

日本では1980年代からネットゲームの試みが始まっていた

世界的なネットゲームの起源と、日本の一般家庭でオンラインプレイが広く意識されるようになった時期は分けて考える必要があります。

日本でネットゲームが身近な存在になったのは1990年代末から2000年代以降ですが、ネットワークとゲームを組み合わせる試み自体は1980年代から行われていました。

1986年に「THE LINKS」がサービスを開始した

日本のネットゲーム前史として興味深い存在が、MSXを利用した画像パソコン通信「THE LINKS」です。

CESAの「ゲーム産業の系譜」によると、1985年11月からテストサービスが行われ、1986年3月にTHE LINKSとして正式サービスを開始しました。

当時は家庭にインターネット回線がある時代ではありません。

利用者はMSXに専用モデムを装着し、電話回線を利用してアクセスポイントへ接続していました。

現在であればゲーム機やPCを家庭のネット回線につなぐだけですが、当時は専用機器や通信料金も必要で、オンラインサービスへ参加するためのハードルははるかに高かったのです。

THE LINKSでは、こうした環境を利用してネットワークゲームの試みも行われました。

1987年1月1日には、複数ユーザーが参加するレースゲーム「ミッドナイトラリー」の最初のレースが行われています。CESAの資料では、日本の一般家庭から参加する多人数ネットワークゲームとして非常に早い試みだったことが紹介されています。

なお、THE LINKSの関係者はこれを世界初のネットワークゲームとする見解を示しています。

ただし海外では、1970年代にすでに『Empire』や『Maze War』などのネットワークゲームが存在しています。

そのため世界全体の歴史を扱うこの記事では、「世界初」と断定するのではなく、日本の家庭向けネットワークゲームとして非常に早い事例の一つと位置づけるのが適切です。

1988年の「A1タウン」では仮想の街にゲームやチャットが集まった

1988年にはTHE LINKS内に「A1タウン」というサービスも設けられました。

これは松下電器産業のMSX2「FS-A1」シリーズ向けに作られたもので、サービスのメニューそのものを仮想の街として表現する仕組みでした。

街の中にはゲームごとの施設があり、利用者はそれぞれの場所からゲームを開始できました。

さらに、BBSで他の利用者と語り合う場所、オンラインチャットを楽しむ場所、ゲームを購入するショップなども用意されていました。

現在のオンラインゲームと比べれば素朴な仕組みですが、

ゲームがある、
人が集まる、
会話できる、
商品を入手できる、
サービス全体が仮想的な「街」として表現される

という考え方が、1980年代の日本ですでに試みられていたことは注目できます。

ゲームそのものだけではなく、ゲームを中心として人が集まるオンラインコミュニティという発想の前史として見ても興味深い存在です。

1990年には「富士通Habitat」が始まった

米国で開発されたHabitatは、その後日本にもやってきます。

富士通がライセンスを取得し、1990年にはFM TOWNS向けに「富士通Habitat」のサービスを開始しました。CESAの資料でも、日本におけるサービス開始は1990年とされています。

MMORPGとは性格が異なりますが、アバターを利用して複数のユーザーが同じグラフィカルな仮想空間へ入り、交流できるサービスでした。

そのため、2000年前後を「日本のネットゲームの始まり」とするのは適切ではありません。

1980年代にはすでにネットワークサービス上でゲームが試され、1990年前後にはアバターを使って参加する共有仮想空間まで登場していたからです。

ただし、こうしたサービスを利用するには専用のパソコンやモデム、電話回線などが必要でした。

現在のように誰もが気軽にオンラインゲームへ参加できる環境ではなかったことも、同時に理解しておく必要があります。

ドリームキャストはネットワーク機能を標準搭載した

家庭用ゲーム機の世界でネットワーク機能を強く打ち出した存在の一つが、セガのドリームキャストです。

ドリームキャストは1998年11月27日に発売されました。

インターネット通信用モデムを標準搭載し、ブラウザでWebサイトを見たり、チャットやオンライン対応ゲームを利用したりできました。

セガ自身も、ドリームキャストを「ネットワーク機能を標準搭載した」家庭用ゲーム機として紹介しています。

現在ではゲーム機にネットワーク機能が付いていることは珍しくありません。

しかし1998年当時、家庭用ゲーム機を購入した段階からインターネット接続を想定した仕組みが用意されていることは大きな特徴でした。

家庭用ゲーム機とインターネットが本格的に結び付き始めた象徴的な時期といえます。

『ファンタシースターオンライン』で家庭用オンラインRPGが身近になった

ドリームキャストを代表するオンライン作品の一つが、2000年12月21日に発売された『ファンタシースターオンライン(PSO)』です。セガのソフトウェア資料でも同日の発売が確認できます。

セガはPSOを「家庭用初の3DネットワークRPG」として紹介しています。

世界中のプレイヤーとインターネットを通して協力プレイでき、オンラインでは最大4人で冒険する仕組みを採用していました。

もちろん、PSOが日本初のネットゲームだったわけではありません。

THE LINKSやA1タウン、富士通Habitatなど、それ以前にも日本ではネットワークを利用したゲームや共有空間が存在していました。

PSOの大きな特徴は、それまで主にパソコンやパソコン通信などで体験されていたオンラインの遊びを、家庭用ゲーム機をテレビにつないで遊ぶユーザーにも分かりやすい形で届けたことにあります。

また、PSOは少人数のパーティーを組んで冒険する仕組みが中心です。

多数のプレイヤーが同一フィールドに常時存在する典型的なMMORPGとは構造が異なるため、「PSO=MMORPG」と単純に分類するより、家庭用ゲーム機に本格的なオンラインRPGを広げた重要作と考えるほうが歴史的な特徴を捉えやすいでしょう。

セガによると、PSOは20万人以上のプレイヤーに遊ばれ、家庭用オンラインRPGの成功例となりました。

PC向けオンラインゲームと家庭用ゲーム機のネットワーク対応が並行して進んだことで、2000年代には「ゲームをネットにつないで誰かと遊ぶ」というスタイルがさらに身近になっていきます。

まとめ

ネットゲームの黎明期を、一つの作品や一つの年だけで示すことはできません。

1960年代には『Spacewar!』のような複数人で遊ぶコンピュータゲームが登場し、1970年代前半には『Empire』や『Maze War』など、ネットワークを介して離れた端末のプレイヤーが遊ぶゲームが現れました。

1978年にはRoy TrubshawがMUDの開発に着手し、Richard Bartleとともに発展させます。ここでは、多人数が同じ仮想世界を共有し、他のプレイヤーと関わりながら遊ぶという、後のオンラインRPGにつながる考え方が形になりました。

1980年代には『Island of Kesmai』による商用化や、Habitatのようにアバターを使って参加するグラフィカルな仮想空間が登場します。

1990年代になると『Neverwinter Nights』『Meridian 59』『Ultima Online』『Lineage』『EverQuest』などを通して、グラフィック、3D空間、チャット、ギルド、経済、コミュニティといった現在のMMORPGにつながる要素がそろっていきました。

日本でも1986年にTHE LINKSが始まり、1987年には一般家庭から参加するネットワークゲーム「ミッドナイトラリー」が行われています。その後、1988年のA1タウン、1990年の富士通Habitatなどを経て、1998年のドリームキャスト、2000年の『ファンタシースターオンライン』へと家庭向けオンラインゲームの流れがつながりました。

ネットゲームの黎明期は1970年代までさかのぼります。ネットワーク対戦から文字による共有世界、商用サービス、アバター、グラフィック、3Dへと段階的に発展し、1990年代末には大規模な共有世界を多人数で遊ぶというMMORPGの基本的な姿がほぼ整っていたのです。

参考情報

  • Computer History Museum「Spacewar!」
  • Computer History Museum「John Daleske」
  • Computer History Museum「World Of Warcraft | Make Software, Change the World!」
  • CERN「A short history of the Web」
  • University of Essex「Richard Bartle」
  • The Strong National Museum of Play「WoW Server Blade and the History of Role-Playing Video Games」
  • The Strong National Museum of Play「Creating MMORPGs: The Neverwinter Nights Story」
  • Meridian 59「Game History」
  • Electronic Arts「EA Announces Ultima Online: Kingdom Reborn」
  • NCSOFT「Lineage | DIGITAL ARTBOOK」
  • 一般社団法人コンピュータエンターテインメント協会(CESA)「ゲーム産業の系譜 第2回 MSXによる画像パソコン通信『THE LINKS』奮闘の日々」
  • 一般社団法人コンピュータエンターテインメント協会(CESA)「ゲーム産業の系譜 第3回 早すぎた夢…画期的なネットワークサービスが花開く」
  • SEGA「ドリームキャスト|セガハード大百科」
  • SEGA「セガの歴史 1960-2020」
  • SEGA「ファンタシースターシリーズ公式ポータルサイト|ファンタシースターの歴史」

この記事を書いた人

気になったテーマを中心に、公開情報や資料を読みながら記事をまとめています。背景や違いが見えにくい話題も、公式サイトや公開資料を確認しつつ、できるだけわかりやすく整理してお届けしています。

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