夏の夜、提灯がともる櫓(やぐら)の周りで、太鼓や音頭に合わせて踊る盆踊り。浴衣や屋台とともに夏祭りを代表する風景ですが、最初から夏の娯楽として行われていたわけではありません。
盆踊りの背景には、盆の祖先供養、中世の念仏や踊り、華やかな風流(ふりゅう)の文化などがあります。それらが各地で影響し合い、近世には人々が集まって楽しむ催しとしての面も目立つようになりました。現在の盆踊りに「亡くなった人を思う行事」と「賑やかな夏祭り」の両方が見られるのは、こうした長い歴史があるためです。
では、なぜ先祖を迎えるお盆の時期に踊りが行われるようになったのでしょうか。盆踊りの歩みをたどると、供養と夏祭りが結びついてきた背景が見えてきます。
盆踊りの由来にはお盆と中世の踊り文化が関係している
盆踊りには、「この人物がこの年に始めた」と断定できる一つの起源があるわけではありません。
祖先や亡くなった人を供養する盆行事に、念仏を唱える文化や踊り、地域の民俗芸能などが重なりながら、後の盆踊りにつながる形が作られていきました。
お盆の背景にある「盂蘭盆会」
日本のお盆と深く関係している仏教行事が「盂蘭盆会(うらぼんえ)」です。
『仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)』には、釈迦の弟子である目連(もくれん)が苦しむ亡き母を救おうとし、釈迦の教えに従って7月15日に修行者たちへ供養を行う物語が説かれています。旧暦7月15日という日付は、その後の盆行事とも深く関わっています。
一方、日本でよく知られる「お盆になると先祖の霊が家へ帰ってくる」という考え方は、『盂蘭盆経』にそのまま書かれているものではありません。本願寺の解説でも、霊が帰ってくるという考え方は経典そのものではなく、日本の民俗信仰に由来するとされています。
そのため、日本のお盆は仏教行事だけで現在の形になったというより、祖先を祀る日本の習俗なども重なりながら受け継がれてきた行事と見ることができます。
迎え火をたく、墓参りをする、供物を供える、送り火で見送るといった習慣にも土地ごとの違いがあります。宗派によって盆の捉え方も異なるため、「お盆とは全国どこでも同じ方法で先祖を迎える行事」と決めつけることはできません。
踊り念仏や念仏踊も盆踊りの背景にある
盆踊りの歴史をたどるうえでは、「踊り念仏」や「念仏踊」と呼ばれる文化も外せません。
念仏と身体の動きを組み合わせる文化には、平安時代の僧・空也(くうや)を祖とする伝承があります。鎌倉時代には時宗の開祖・一遍(いっぺん)が各地で踊り念仏を広めたことで知られています。
ただし、踊り念仏や念仏踊が、そのまま一本道で現在の盆踊りへ変化したわけではありません。念仏踊には死者の供養を目的とするものがあり、盆踊りとは別の芸能として発達した例もあります。
両者のつながりを感じさせる文化は現在にも残っています。長野県阿南町の「和合の念仏踊」は毎年8月13日から16日に行われ、14日と15日には新しく亡くなった人の位牌を寺に集め、新仏供養として念仏踊を踊ります。文化庁も、盆の新仏供養と念仏踊が結びついた形を残す芸能として紹介しています。
念仏と盆の行事が各地でさまざまな形に結びついてきたことを伝える例といえるでしょう。
室町時代には「盆ノヲドリ」の記録が残っている
盆と踊りの結びつきは、中世の史料からも確認できます。
室町時代前期の日記『看聞御記(かんもんぎょき)』には、15世紀初頭の盆の時期に「念仏躍」や「念仏拍物」が行われた記録があります。ただ、この段階では後世の盆踊りそのものというより、念仏や風流の要素を持つ芸能だったとされています。
さらに15世紀末になると、奈良で行われた踊りについて「盆ノヲドリ」と記した史料が現れます。現在の盆踊りと同じ姿だったわけではありませんが、室町時代にはすでに「盆」と「踊り」が結びついた行事が存在していたことがうかがえます。
こうした中世の盆行事や念仏、風流の踊りが各地の芸能と交わり、後の盆踊りへつながる多様な文化が育っていきました。
盆踊りは先祖を「迎えるためだけ」の踊りではない
「盆踊りは、お盆に帰ってきた先祖を迎えるために踊るもの」と説明されることがあります。
お盆と祖先供養には深いつながりがありますが、全国の盆踊りを「先祖を迎える踊り」という一つの意味だけで説明するのは難しいところがあります。
先祖の供養、新しく亡くなった人の慰霊、精霊送りなどと結びつく盆踊りがある一方、現在では地域交流や夏の催しとして開かれるものもあります。
先祖を迎えるだけでなく「送る」行事とも結びつく
盆踊りと祖先供養の関係をよく伝えているのが、長野県阿南町の「新野の盆踊」です。
新野では毎年8月14日から16日まで、それぞれ夜から翌朝にかけて踊りが続きます。三味線や太鼓などによる楽器伴奏はなく、音頭取りの歌に合わせて夜を徹して踊るのが特徴です。
16日の夜から続いた踊りが17日の早朝を迎えると、切子灯籠を持った行列が鉦や太鼓を鳴らしながら進み、精霊を送り出す行事が行われます。盆に精霊を迎え、最後に送り出すという古い盆行事の姿を伝えるものとして文化庁にも紹介されています。
ここでは、踊りが「先祖を迎える瞬間」だけに対応しているのではありません。盆の間を過ごし、供養し、最後に送り出す一連の行事の中に盆踊りがあります。
盆踊りは土地によって、迎え、供養、慰霊、送りなど異なる場面と結びついてきました。「先祖を迎えるための踊り」という説明だけでは捉えきれない理由がここにあります。
供養なのになぜ賑やかに踊るの?
現在の感覚では、亡くなった人を供養するなら静かに手を合わせるほうが合っているようにも感じられます。
しかし、日本の伝統行事では、死者を思うことと、人々が歌い踊ることが必ずしも分かれていたわけではありません。
和合の念仏踊では、新仏の供養として太鼓や鉦を鳴らしながら踊ります。念仏を唱え、音を鳴らし、身体を動かすことも、地域で受け継がれてきた供養の形でした。
盆踊りには、亡くなった人を思う時間と、人々が集まる賑やかさが同居しています。現在の夏祭りだけを見ると対照的に感じる二つの要素も、歴史をたどれば同じ行事の中で長く受け継がれてきたものなのです。
盆踊りはどうして夏祭りの定番になったの?
現在では盆踊りと聞くと、櫓、提灯、太鼓、浴衣、屋台といった夏祭りの風景を思い浮かべる人が多いでしょう。
祖先供養に関わる行事が、ある時点からまったく別の娯楽へ置き換わったわけではありません。時代が進むにつれ、供養とのつながりを持ちながら、人々が集まって楽しむ催しとしての役割も広がっていきました。
江戸時代には庶民の娯楽として盛んになった
江戸時代になると、盆踊りは庶民の娯楽としても盛んになります。
東京都立図書館の資料によると、延宝年間(1673~1681年)ごろには華美になりすぎたとして、幕府から禁令が出されたほどでした。禁止の対象になるほど盛んだったことからも、当時の人々が盆踊りを楽しんでいた様子がうかがえます。
さらに、歌川豊国(三代)が1856年に描いた錦絵『源氏十二ヵ月之内 孟秋(げんじじゅうにかげつのうち もうしゅう)』には、切子灯籠の下で揃いの着物を着た女性たちが盆踊りをする姿が描かれています。
現在の盆踊り会場とは姿が違いますが、江戸の人々にとっても、盆踊りが人の集まる季節の楽しみになっていたことを伝える資料です。
供養と娯楽のどちらか一方になったわけではない
盆踊りの変化を「昔は供養、現在は娯楽」と二つに分けてしまうと、各地に残る行事の姿とは合わない部分が出てきます。
新野の盆踊や和合の念仏踊のように、現在も祖先や新仏の供養と深く関係する芸能があります。一方、都市部や町内会などで開催される盆踊りでは、宗教的な意味を特に意識せず、地域の夏祭りとして参加する人も少なくありません。
時代や土地によって意味の比重が変わりながら、供養、娯楽、地域交流といった複数の役割が盆踊りの中に残ってきました。
現在では、子どもから高齢者まで同じ会場で踊れる地域イベントとしても親しまれています。昔ながらの供養の行事と、現代の夏祭りが同じ「盆踊り」という名前で共存しているところも、この文化の特徴です。
なぜ8月に行われる盆踊りが多いの?
お盆のもとになった盂蘭盆会では、旧暦7月15日が重要な日とされていました。
明治時代に日本が太陽暦を採用したあと、新暦7月に盆を行う地域がある一方、旧暦との季節のずれを考慮して1か月遅い8月に行う地域も広がりました。現在も7月盆と8月盆の両方が見られるのは、このためです。
現在では8月に行われる盆踊りも多く、提灯や浴衣、屋台などとともに夏祭りを象徴する風景の一つになっています。
盆踊りが「供養から夏祭りへ変わった」というより、盆の時期に行われてきた踊りが、娯楽や地域交流の役割も持つようになり、現在の夏祭り文化にも受け継がれているのです。
全国の盆踊りを見ると踊り方も意味もかなり違う
「盆踊り」と聞くと、中央に櫓を立て、その周囲を大勢で輪になって踊る光景が定番です。
ところが、各地に伝わる盆踊りを見てみると、必ずしも櫓があるわけでも、大きな輪を作るわけでもありません。使われる楽器、歌、衣装、踊る場所、時間帯、供養との関わりまで違いがあります。
新野の盆踊では三味線や太鼓などによる楽器伴奏を使わず、踊り手たちは音頭取りの歌に合わせて夜通し踊ります。対して和合の念仏踊では、太鼓や鉦を打ち鳴らす動きそのものが芸能の大きな特徴になっています。
こうした違いがあるため、「輪になって踊るのは先祖の霊を囲むため」「櫓には必ず宗教上の意味がある」といった説明を、全国すべての盆踊りに当てはめることはできません。
私たちがよく目にする櫓を囲む輪踊りは、盆踊りの代表的な形式の一つです。土地ごとの盆踊りを見比べてみると、同じ名前の行事でも、その姿が大きく異なることに気づきます。
盆踊りの中にはユネスコ無形文化遺産に含まれるものもある
地域ごとに伝承されてきた踊りの文化を知るうえで、「風流踊(ふりゅうおどり)」も注目したい存在です。
2022年11月30日、日本各地の41件の国指定重要無形民俗文化財で構成される「風流踊」が、ユネスコ無形文化遺産の代表一覧表に記載されました。盆踊、小歌踊、念仏踊、太鼓踊など、さまざまな民俗芸能が含まれています。
新野の盆踊も、この「風流踊」を構成する芸能の一つです。
ただし、日本の盆踊りすべてがユネスコ無形文化遺産になっているわけではありません。特定の地域で受け継がれてきた民俗芸能をまとめて「風流踊」として記載したものです。
盆踊りには、祖先供養だけでなく、その土地の音楽や信仰、地域社会の歩みまで刻まれています。夏祭りで何気なく目にする一つひとつの踊りにも、土地ごとに異なる背景があるのです。
Q&A
まとめ
盆踊りの由来は、「先祖を迎えるために始まった踊り」と一言で説明できるものではありません。
仏教の盂蘭盆会、日本で受け継がれてきた祖先を祀る習俗、踊り念仏や念仏踊、中世の風流などが影響し合い、15世紀には盆と踊りの結びつきを示す記録も現れます。江戸時代には庶民の楽しみとしても盛んになり、供養に加えて娯楽や地域交流の役割を持つ盆踊りが各地で受け継がれてきました。
先祖や亡くなった人を思う時間と、人々が集まって夏を楽しむ時間。その両方が同じ行事の中にあることが、盆踊りの大きな特徴です。
次に盆踊りを見る機会があれば、曲や踊り方にも注目してみてください。土地によって違うその姿の奥には、盆踊りという文化が歩んできた何百年もの歴史が重なっています。
参考情報
- 文化庁「新野の盆踊」
- 文化庁「和合の念仏踊」
- 文化庁「『風流踊』のユネスコ無形文化遺産登録(代表一覧表記載)」
- 国立歴史民俗博物館「洛中洛外図屏風(歴博甲本) 念仏踊り」
- 東京都立図書館「源氏十二ヵ月之内 孟秋」
- 浄土真宗本願寺派「お盆の紹介(特集記事)」
