寿司や刺身で身近なまぐろには、約1300年前の和歌につながる記念日があります。
10月10日の「まぐろの日」は、数字を使った語呂合わせから生まれた日ではありません。奈良時代の歌人・山部赤人(やまべのあかひと)が、現在の兵庫県明石市周辺で「鮪」を釣る船が行き交う海辺を詠んだ『万葉集』の歌にちなみます。
歌に登場する「鮪」は「しび」と読まれています。さらに10月10日という日付には、聖武天皇が播磨国の印南野を訪れた記録も関係しています。
奈良時代の歌が、なぜ昭和になって「まぐろの日」へつながったのでしょうか。
まぐろの日はなぜ10月10日?
現在の日本かつお・まぐろ漁業協同組合は、神亀3年(726年)10月10日、山部赤人が聖武天皇に従って明石地方を訪れ、まぐろ漁でにぎわう土地をたたえる歌を詠んだとされることを、まぐろの日の由来として紹介しています。
そのため、「10」を「ト」と読むような語呂合わせが日付の理由ではありません。
ただし、史料上は少し事情が異なります。
『万葉集』938番歌には「10月10日にこの歌を詠んだ」と作歌日そのものは記されていません。一方、『続日本紀』をもとに聖武天皇の行幸を検討した研究では、神亀3年10月10日に聖武天皇が印南野の邑美頓宮(おうみのとんぐう)へ到着したことが確認されています。頓宮とは、天皇の行幸などで一時的に設けられる滞在場所です。
現在のまぐろの日では、この聖武天皇の行幸に山部赤人が同行し、10月10日に歌を詠んだとされる故事が日付の由来として伝えられています。
なお、ここでいう10月10日は奈良時代の暦での日付です。現代のカレンダー上の日付へそのまま置き換えたものではありません。
元になったのは『万葉集』巻六・938番歌
まぐろの日と結び付いているのは、『万葉集』巻六・938番歌です。
作者は山部宿禰赤人(やまべのすくねあかひと)。一般には山部赤人の名で知られています。
奈良県立万葉文化館の「万葉百科」には、
「藤井の浦に 鮪釣ると 海人船騒き」
という一節が記録されています。
鮪を釣ろうとする漁師の船が行き交い、浜では塩を焼く多くの人が働く海辺の光景を詠んだ長歌です。
まぐろだけを取り上げた歌というより、漁と製塩で活気のある海辺全体が描かれています。
明石市立図書館の郷土資料でも、この歌は奈良時代の明石の漁を伝えるものとして紹介され、藤江沖に鮪を釣る漁師の船が多く出ていた様子が読み取れるとされています。
万葉集の「鮪」は「しび」と読む
現在は「鮪」と書いて「まぐろ」と読むのが一般的ですが、938番歌では「しび」と読まれています。
奈良県立万葉文化館が示す訓みでも、「鮪釣る」は「しびつる」です。明石市立図書館も、この歌に登場する「しび」を「まぐろ」のことと説明しています。
ただし、「昔は鮪という漢字を必ず『しび』と読んだ」と考える必要はありません。少なくとも、この『万葉集』の歌では「鮪」を「しび」と読むことが確認できます。
今と同じ「鮪」という字が使われていても読み方が違うところには、千年以上にわたる言葉の変化が表れています。
「藤井の浦」は現在の明石市周辺
歌に登場する藤井の浦(ふじいのうら)は、奈良県立万葉文化館では現在の兵庫県明石市にあたり、藤江の浦のことと説明されています。
歌には印南野や大海の原といった地名も登場し、聖武天皇の播磨への行幸と結び付く土地の景色が詠み込まれています。
さらに938番歌に続く939番歌でも、「藤江の浦」に漁をする船が集まっている光景が描かれています。
938番歌と939番歌には、この一帯の海や漁船の光景が続けて詠まれており、当時の海辺の様子を伝える歌として読むことができます。
「まぐろの日」が制定されたのは1986年
山部赤人が活躍した奈良時代から長い年月が過ぎ、1986年(昭和61年)に日本鰹鮪漁業協同組合連合会が10月10日を「まぐろの日」と定めました。
明石市立図書館の郷土資料にも、山部赤人の歌にちなみ、1986年に日本鰹鮪漁業協同組合連合会によって制定されたことが記録されています。
記念日には、まぐろを食べてもらう機会を増やすだけでなく、まぐろ漁業そのものを広く知ってもらう目的もありました。
鹿児島県の水産関係資料では、まぐろの消費拡大と、遠洋まぐろ延縄漁業への理解促進を目的に制定したと説明されています。
遠洋まぐろ延縄漁業は、長い幹縄に多くの枝縄と釣り針を付け、遠洋でマグロ類を漁獲する漁法です。
「まぐろの日」には、食卓で親しまれているまぐろだけでなく、遠い海で行われる漁業について知ってもらう意味も込められていました。
制定当時と現在で団体名が違う理由
1986年にまぐろの日を制定したのは、日本鰹鮪漁業協同組合連合会(日かつ連)です。
一方、現在まぐろの日の由来を紹介しているのは日本かつお・まぐろ漁業協同組合(日かつ漁協)です。
日かつ連が担っていた事業は、2006年の組織再編によって現在の日本かつお・まぐろ漁業協同組合などへ引き継がれました。
そのため、1986年の制定時と現在の案内ページで団体名が異なっています。
古い資料では「日本鰹鮪漁業協同組合連合会」、現在の案内では「日本かつお・まぐろ漁業協同組合」と表記されていても、まったく無関係な団体というわけではありません。
万葉集に描かれたのは「鮪を釣る海辺」
「鮪」という言葉が登場するため、山部赤人の歌を「奈良時代にも現在と同じようにまぐろを食べていた記録」と受け取りたくなるかもしれません。
しかし、938番歌から直接分かるのは、藤井の浦で鮪を釣ろうとする漁師の船が行き交い、浜では人々が塩を焼いていたことです。
奈良県立万葉文化館の現代語訳でも、鮪を釣る漁船と塩を焼く人々でにぎわう海辺として説明されています。
歌には、鮪をどのように調理したのか、どんな状態で食べたのかまでは書かれていません。そのため、この歌だけでは当時の具体的なまぐろの食べ方までは分かりません。
山部赤人の歌では、鮪を追う船が海辺の風景の一部として描かれています。漁船や塩作りでにぎわう様子が、奈良時代の明石周辺を思わせる情景として残されたのです。
約1300年前に詠まれた海の景色が後世まで伝わり、その歌が昭和になって10月10日の記念日へつながりました。
まとめ
10月10日はまぐろの日です。
由来は語呂合わせではなく、奈良時代の歌人・山部赤人が聖武天皇の行幸に従い、「鮪(しび)釣る」船が行き交う明石周辺の海辺を詠んだ『万葉集』巻六・938番歌にちなみます。
『万葉集』には作歌日そのものは記されていませんが、現在のまぐろの日では、神亀3年10月10日の聖武天皇の行幸に結び付く故事が日付の由来として紹介されています。
記念日が制定されたのは1986年です。日本鰹鮪漁業協同組合連合会が、まぐろの消費拡大と遠洋まぐろ延縄漁業への理解を深めてもらう目的で定めました。
身近なまぐろの記念日をさかのぼると、奈良時代の万葉集と明石の海へ行き着きます。10月10日は、古い歌に残された「鮪」と現代のまぐろ漁業が結び付いた記念日です。
参考情報
- 日本かつお・まぐろ漁業協同組合「なぜ10月10日はまぐろの日?」
- 日本かつお・まぐろ漁業協同組合「組織情報」
- 奈良県立万葉文化館「万葉百科 巻6・938」
- 奈良県立万葉文化館「万葉百科 巻6・939」
- 明石市立図書館「明石 郷土の記憶デジタル版 明石の漁村」
- 大阪歴史博物館『研究紀要』第13号「聖武天皇の印南野行幸と難波宮の造営」
- 鹿児島県水産技術開発センター「TUNAドリームジャーニー(まぐろという夢を求めて)」

