マグロは古く「しび」と呼ばれ、その響きが「死日」を連想させるとして、縁起が悪い魚と見られた時代がありました。
いまでは寿司や刺身の定番として親しまれる魚ですが、昔から高級魚として扱われていたわけではありません。冷蔵技術がなかった時代には鮮度を保ちにくく、江戸時代には下魚とされた例もあります。
それでもマグロは、江戸時代後期に「づけ」や寿司種として広まり、現在のような人気の魚へと変わっていきました。古い呼び名、縁起担ぎ、江戸の食文化をたどると、マグロの意外な歴史が見えてきます。
マグロは昔「しび」と呼ばれていた
マグロの古い呼び名として知られるのが「しび」です。漢字では「鮪」と書き、古典の中にも「鮪(しび)」に関わる表現が見られます。
文献上の例として分かりやすいのが『古事記』です。『古事記』は奈良時代初期の和銅5年、712年にできあがった現存最古の歴史書とされます。コトバンクの「鮪」の語誌では、『古事記』下巻の歌謡に「鮪(しび)突く」という表現があると紹介されています。少なくとも奈良時代には、「しび」という呼び名が記録に残るほど知られていたことがうかがえます。
もうひとつの例が『万葉集』です。『万葉集』は何度かの編集を経て、奈良時代の末ごろに成立したと考えられています。収められた歌の年代は、舒明朝の629〜642年ごろから天平宝字3年、759年ごろまでにわたります。コトバンクの「鮪」の語誌でも、『万葉集』に「鮪(しび)突く」「鮪(しび)釣る」といった表現が見られると説明されています。
ただし、古い時代の魚名は、現代の生物分類と完全に一致しない場合があります。「しび」も、現在のマグロにつながる古い呼び名として受け止めると分かりやすいでしょう。
なぜ「しび」は縁起が悪いとされたのか
「しび」が縁起の悪い魚として語られる理由は、音の響きにあります。
「しび」という読みが「死日」を思わせるため、特に武家社会では好まれにくかったとされています。キッコーマン国際食文化研究センターの江戸の魚食文化に関する解説でも、昔は「しび」といい、その言葉が「死日」につながるとして武家が避けたことが紹介されています。
マグロという魚そのものが禁じられていたわけではありません。問題になったのは、主に「しび」という呼び名の響きでした。昔の日本では、言葉の音から吉凶を考えることがありました。祝いの席で避ける言葉があったり、縁起のよい語呂を好んだりする感覚に近いものです。
魚の名前にも、こうした言葉の印象が関わっていました。カツオが「勝つ魚」を思わせる魚として語られる一方で、「しび」は「死日」を連想させるため、門出や祝い事には向きにくい名と受け止められたのでしょう。
「しび」から「まぐろ」へ呼び名はどう変わったのか
「しび」が何年まで使われていたのかを、はっきり一本の線で区切るのは難しいです。呼び名は時代とともに少しずつ入れ替わるもので、地域や魚の大きさ、流通の場によって併用されることがあります。
江戸時代にも「しび」という呼び名は残っていました。キッコーマンの解説では、「しび」の呼び方に関して、正確には大きいものを「しび」、中くらいのものを「まぐろ」と呼んだと紹介されています。
「まぐろ」という呼び名の由来にも、いくつかの説があります。コトバンク収録の『世界大百科事典』では、室町時代末期ごろから「しび」の小型のものを「目黒(めぐろ)」と呼ぶようになり、そこから「まぐろ」という語が生じたとも説明されています。
つまり、「しび」から「まぐろ」へ一気に呼び名が置き換わったというより、大きさや地域、食の場面によって呼び方が重なりながら、少しずつ現在の呼び名に近づいていったと考えられます。
江戸時代の後期には「まぐろ」という呼び名と食べ方が広がっていきます。コトバンクの「鮪」の語誌では、近世後期の大豊漁を経て、文化7〜8年、1810〜1811年ごろには醤油に漬けた「づけ」として、天保3年、1832年には生のまま寿司種として広まったと説明されています。
昔のマグロは高級魚ではなかった
現在の感覚では、マグロは寿司の主役級の魚です。特に本マグロやトロには高級な印象があります。けれど、江戸時代のマグロは今のような扱いではありませんでした。
国立国会図書館の展示解説では、江戸時代の料理書『古今料理集』における魚の格付けが紹介されています。その中で「鮪」は下魚の項目に入っています。下魚とは、食べられない魚という意味ではありません。味や希少性、扱いやすさの面で上等とは見なされにくかった魚と考えると分かりやすいです。
マグロが低く見られた理由のひとつは、鮮度の問題でした。国立国会図書館の解説では、鮪のような赤身魚は遠隔地から運ばれる過程で鮮度が大きく落ちるため、下魚に入れられたと説明されています。キッコーマンの解説でも、氷のない時代に遠方から運ばれるマグロは鮮度が落ち、黒ずみやすかったことが紹介されています。
大きな魚であるマグロは、運ぶのにも時間がかかります。冷蔵・冷凍技術がない時代には、現在のような鮮やかな赤身を保ったまま食卓に届けることが難しかったのでしょう。名前の縁起だけでなく、保存や流通の問題も重なり、マグロは今とは違う位置づけにありました。
江戸の「づけ」がマグロの評価を変えた
マグロの評価を変えるきっかけのひとつになったのが、江戸時代後期に広まった「づけ」です。
「づけ」は、マグロの赤身を醤油に漬ける食べ方です。醤油に漬けることで味がなじみ、鮮度が落ちやすい赤身も食べやすくなります。冷蔵技術がなかった時代には、味つけと保存の工夫を兼ねた方法として相性がよかったと考えられます。
天保3年、1832年には伊豆や相模など近海でマグロが大漁となり、寿司種として使われたことがマグロ人気のきっかけになったと紹介されています。コトバンクでも、近世後期の大豊漁を経て、マグロが「づけ」や寿司種として広まったことが説明されています。
ここで広まった中心は、今のようなトロではなく赤身でした。トロが一般的に食べられるようになったのは昭和になってからで、もともとは安価な「あら」にすぎなかったとされています。
マグロの価値は、呼び名や保存方法、江戸の食文化によって少しずつ変わっていきました。「しび」と呼ばれて縁起を気にされた魚が、調理法と流行によって寿司の定番へ近づいていったのです。
「しび」から見える日本人の食文化
マグロが「しび」と呼ばれた話は、魚の名前だけの話ではありません。そこには、言葉の響きを大切にする感覚や、食べ物の評価が時代によって変わる様子が表れています。
昔の人は、食べ物を味だけで見ていたわけではありませんでした。名前の響き、縁起、手に入りやすさ、保存のしやすさ、調理法などが重なって、その魚の印象が決まっていきます。マグロの場合は「しび」という名が不吉に聞こえたことに加え、鮮度を保ちにくい魚だったことも評価に影響しました。
それでも、江戸の町では工夫が生まれました。醤油に漬ける「づけ」によって赤身の味わいが引き立ち、寿司との相性もよくなりました。扱いにくかった魚が、食べ方の変化によって人気を得ていく流れは、食文化らしい変化です。
いま当たり前のように食べているマグロにも、古い呼び名、縁起担ぎ、江戸の流行、保存技術の変化が重なっています。「しび」という名を知ると、マグロは単なる人気の寿司ネタではなく、時代ごとに見方を変えてきた魚として見えてきます。
Q&A(よくある疑問)
まとめ
マグロは古く「しび」と呼ばれ、奈良時代の『古事記』や『万葉集』にもその名に関わる表現が見られます。「しび」は「死日」を連想させるため、江戸時代には縁起が悪い魚として語られることがありました。
さらに、冷蔵技術がない時代のマグロは鮮度を保ちにくく、下魚とされた例もあります。けれど江戸後期に醤油漬けの「づけ」や寿司種として広まり、評価は大きく変わりました。現在のマグロ人気の裏には、名前の変化、縁起担ぎ、江戸の食文化が深く関わっています。
参考情報
- 國學院大學 古典文化学事業「古事記について」
- 国文学研究資料館「万葉集|書物で見る日本古典文学史」
- 国立国会図書館「本の万華鏡 第30回 天下タイ平~魚と人の江戸時代~ 第3章 食べタイ!」
- キッコーマン国際食文化研究センター「FOOD CULTURE No.15 日本橋魚河岸の来歴 第2回 お江戸は魚盛り」
- コトバンク「目黒(メグロ)」
- コトバンク「マグロ」
