「ギフテッド」と聞くと、何でもできる天才や、特別な才能を持つ子どもを思い浮かべる人は少なくありません。けれど、ギフテッドは単に「頭がいい人」や「学校の成績がよい人」を指す言葉ではありません。
ある分野で強い関心や高い理解力を見せる一方で、学校生活になじみにくかったり、同年代との会話に違和感を抱いたりする場合もあります。文部科学省では、こうした子どもたちについて「特定分野に特異な才能のある児童生徒」という表現が使われることがあります。文部科学省の令和7年度事業でも、こうした児童生徒は才能や認知・発達の特性などにより、学習上・学校生活上の困難を抱えることがあると説明されています。
ギフテッドを理解するときに必要なのは、「すごい人」と持ち上げることではありません。得意さと困りごとが同時にある場合も含めて、その人に合った学び方や関わり方を考えることです。
ギフテッドとは何か
ギフテッドは、英語の gifted(才能を授かった、特別な能力を持つ) に由来する言葉です。教育の分野では、同年代と比べて特定の分野で高い能力や可能性を示す子どもを指して使われることがあります。
分野は一つに限られません。数学、言語、音楽、芸術、記憶、創造的な発想、論理的な考え方など、さまざまな形で表れることがあります。学校のテストで見えやすい力もあれば、日常の会話や遊び、制作活動の中で見えてくる力もあります。
NAGC(全米ギフテッド児協会)は、ギフテッドについて、同じ年齢・経験・環境の人と比べて、一つ以上の領域で高い能力を発揮する、または発揮する可能性がある人として説明しています。
ただし、ギフテッドの定義や支援の考え方は、国や制度によって違います。OECDも、ギフテッドの定義や各国の対応は大きく異なるとしています。
つまり、ギフテッドは世界共通の一つの基準だけで決まるラベルではありません。どの分野に才能があるのか、どのような学び方が合うのか、どのような困りごとがあるのかを見ていくための言葉と考えると、受け止めやすくなります。
ギフテッドと天才は捉え方が少し違う
ギフテッドと天才は、まったく別のものではありません。特定の分野で突出した力を見せるギフテッドが、周囲から「天才」と呼ばれることもあります。
「天才」は、生まれつき備わった並み外れてすぐれた才能や、その才能を持つ人を指す日常的な言葉です。数学の天才、音楽の天才、スポーツの天才のように、特定の分野で強い才能を発揮する人にも使われます。
一方で、ギフテッドは「天才かどうか」を決める言葉というより、特定の分野で高い力や可能性を持つ人について、「どんな学び方が合うのか」「どこで困っているのか」まで含めて見る言葉です。まだ大きな成果として表れていなくても、同年代と比べて深い理解力、強い関心、独自の発想を示す場合があります。
ギフテッドの中には、才能が大きく伸び、周囲から「天才」と呼ばれるような成果を出す人もいます。ただし、ギフテッドは天才の前段階という意味ではありません。反対に、天才と呼ばれる人が、必ず教育上のギフテッドとして見つけられていたとも限りません。
天才は、突出した才能や成果への評価として使われやすい言葉です。一方で、ギフテッドは能力の可能性や、その人に合った学び方まで含めて見る言葉です。両者は重なることがありますが、優劣ではなく、見る角度が違う言葉として考えると自然です。
ギフテッドはIQだけで決まるのか
ギフテッドというと、IQが高い人という印象を持つ人もいます。たしかに、かつては知能指数を重視して考えられることが多くありました。
しかし、近年ではIQだけで才能を決める考え方は慎重に扱われています。知的な得意さを知る手がかりにはなりますが、才能は一つの数値だけで説明しきれません。
数学に強い子、文章表現に深く入り込む子、音や形に敏感な子、複雑な仕組みを理解するのが得意な子など、表れ方はさまざまです。IQが高いからすべてが得意になるわけでもなく、逆に数値だけでは見えにくい才能もあります。
日本では、教育行政の文脈で「ギフテッド」という言葉をそのまま中心に使うより、「特定分野に特異な才能のある児童生徒」という表現が使われることがあります。文部科学省の事業でも、この表現を用いて、特定の分野に高い才能を示す児童生徒への支援が扱われています。
ここでいう「特異な才能」は、単にIQが高い子どもだけを指すものではありません。独立行政法人教職員支援機構(NITS)の研修資料では、「特異な才能」は領域・特性・程度を限定しない広い意味の才能として説明されています。また、「ギフテッド」という語は、突出した才能や困難を併せ持つ子どもなど、特定のイメージがついた使われ方が広まっているため、有識者会議では使用しないとされています。
つまり、日本の教育行政では、ギフテッドという言葉を否定しているというより、特定のイメージに狭めすぎないために、より広い表現を使っていると考えると理解しやすくなります。
ギフテッドは成績がよい人とは限らない
ギフテッドは、学校の成績がよい人と同じ意味ではありません。
もちろん、得意分野と学校の評価が合っていれば、高い成績を取ることもあります。けれど、才能の方向と学校の課題が合わない場合は、本人の力が見えにくくなることがあります。
たとえば、発想力は高いのに、決まった手順を繰り返す課題が苦手な場合があります。興味のある分野には何時間でも集中できるのに、関心の薄い宿題には手がつかないこともあります。説明が長く感じられ、授業が退屈になってしまう場合もあります。
また、周囲から「できるはず」と期待されるほど、失敗を怖がることもあります。得意なことがあるからこそ、できないことが目立ち、自分でも戸惑うことがあります。
ギフテッドを考えるときは、「成績がよいかどうか」だけで判断しないほうが、その人らしい才能に気づきやすくなります。何に強い関心を持つのか、どんな考え方をするのか、どの場面で困っているのかまで見ると、成績だけでは見えない部分が見えてきます。
ギフテッドは周りや自分で気づけるものなのか
ギフテッドの特徴は、周囲から見えている場合もあれば、本人にも周囲にも気づかれにくい場合もあります。
たとえば、難しい問題をすぐ理解する、興味のあることを徹底的に調べる、独創的な発想をする、上の学年の内容を自然に理解するなどの姿があれば、周囲が「この子は何かに強い関心や力を持っている」と気づきやすくなります。教職員向けの研修資料でも、特異な才能の表れ方として、興味のあることを徹底的に調べる、独創的なアイデアを思いつく、簡単で繰り返す学習を退屈がるといった例が挙げられています。
一方で、才能が学校の成績や分かりやすい成果として表れない場合もあります。授業が簡単すぎて退屈している、決まったやり方に合わず力を出しにくい、興味のない課題では集中できない、といった形で見えることもあります。この場合、周囲からは「やる気がない」「扱いにくい」と受け取られてしまうことがあります。
本人も、自分の得意さに気づけないことがあります。得意なことが当たり前に感じられたり、苦手な部分ばかりが目立ったりすると、自分に才能があるとは思いにくくなるためです。周囲と同じようにできない部分が目立つと、「自分はできない」と思い込んでしまう場合もあります。
そのため、ギフテッドは「周りが見ればすぐ分かるもの」でも、「本人なら必ず分かるもの」でもありません。本人の興味、考え方、困っている場面、得意な場面を合わせて見ていくことで、見えにくくなっていた力に気づきやすくなります。
ギフテッドには困りごともある
ギフテッドという言葉には、明るい才能のイメージがあります。けれど、才能があることと、毎日を楽に過ごせることは同じではありません。
たとえば、考えるスピードが周囲と合わず、授業を遅く感じることがあります。興味のあることを深く話したいのに、同年代と話が合わないこともあります。感覚が敏感で、教室の音や光、人の多さに疲れやすい場合もあります。
また、できる部分だけを見て「放っておいても大丈夫」と思われることもあります。けれど、得意な分野があるからといって、すべてを一人で乗り越えられるわけではありません。
ギフテッドは、特別扱いを求めるための言葉というより、その人に合った学び方や環境を考える手がかりになります。才能のある部分だけでなく、困っている部分にも目を向けることで、より現実に近い理解になります。
ギフテッド教育は国によって違う
ギフテッドへの教育環境は、国や地域によってかなり違います。特別なプログラムや発展的な課題、個別の学習計画などを用意する地域もありますが、どの子を対象にするのか、どのように支援するのかは一律ではありません。
海外では、飛び級や早修、特別なプログラム、発展的な課題など、才能を伸ばすための取り組みが行われる地域もあります。ただし、国ごとに定義や制度は異なり、どの方法が一般的かは一つに決まりません。OECDも、国によってギフテッド児童生徒を表す言葉や政策の進め方が異なることを示しています。
日本では、「ギフテッド教育」という言葉で全国一律の制度が整っているというより、「特定分野に特異な才能のある児童生徒」への支援として、実証研究や研修、相談支援体制づくりが進められている段階です。令和7年度の文部科学省事業でも、学校と連携した学習・支援プログラムの提供や、地域単位・全国単位の相談支援体制の構築に関する実証研究が示されています。
国や地域によって支援の形は異なります。海外にも課題はあり、日本でも支援のあり方を探る取り組みが進められているため、単純な比較だけでは見えにくい部分があります。特定分野に表れる才能や困りごとを見ながら、学校や家庭でどのような学び方が合うのかを考えることが、現実的な向き合い方になります。
ラベルよりも大切なのは学び方を見ること
ギフテッドという言葉は便利ですが、使い方には注意が必要です。
「あなたはギフテッドだからすごい」「ギフテッドなら何でもできる」といった言い方は、かえって本人を苦しめることがあります。失敗してはいけない、期待に応えなければならない、と感じてしまう場合があるためです。
また、「ギフテッドかどうか」を強く分けようとすると、本人や周囲がラベルに振り回されることもあります。大切なのは、誰かを特別な箱に入れることではありません。
どんな学び方なら力を伸ばしやすいのか。どの場面で退屈や困難を感じているのか。周囲と協力しながら、どんな環境を作ると過ごしやすくなるのか。
その視点で見ると、ギフテッドという言葉は、人を決めつけるためではなく、才能と困りごとの両方に気づくための言葉になります。
ギフテッドをどう受け止めるとよいか
ギフテッドを考えるときは、「すごいかどうか」よりも「どんな力があり、どんな支えが必要か」に目を向けると理解しやすくなります。
家庭では、子どもが強く関心を持つものを、すぐに評価へ結びつけず見守る姿勢が役立ちます。図鑑、実験、物語、音楽、工作、プログラミングなど、深く入り込めるものがあるなら、すぐに結果を求めるより、興味を広げる時間を大切にできます。
学校や周囲では、得意なことだけでなく、困っていることにも目を向ける必要があります。難しい内容を好む一方で、集団活動や単純作業に苦しさを感じる場合もあります。本人の言葉を聞きながら、学び方や関わり方を調整していくことが役立ちます。
ギフテッドは、天才として持ち上げるための言葉ではありません。才能がある人にも、迷い、苦手、孤独、疲れやすさがあります。その両方を見ることが、よりよい理解につながります。
Q&A(よくある疑問)
まとめ
ギフテッドとは、特定の分野で高い能力や可能性を示す人を指して使われる言葉です。ただし、何でもできる天才や、成績がよい人だけを意味するわけではありません。
天才という言葉は、生まれ持った突出した才能や、成果への評価として使われやすい言葉です。一方で、ギフテッドは才能の可能性や学び方の違いにも目を向ける言葉です。両者は重なる部分がありますが、優劣ではなく見る角度が少し違います。
また、ギフテッドは周囲からすぐ分かるとは限りません。本人も自分の得意さに気づかず、才能が見えにくいままになることがあります。だからこそ、得意なこと、苦手なこと、困っていることを合わせて見ながら、その人に合った学び方や関わり方を考えることが、理解の助けになります。
参考情報
- 文部科学省「令和7年度 特定分野に特異な才能のある児童生徒への支援の推進事業」
- 文部科学省「特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議」関連資料
- 独立行政法人教職員支援機構(NITS)「特異な才能のある児童生徒に対する指導・支援Ⅰ」
- NAGC「What is Giftedness?」
- OECD「Policy approaches and initiatives for the inclusion of gifted students in OECD countries」
- ERIC「Key Considerations in Identifying and Supporting Gifted and Talented Learners」
- コトバンク「天才」
