友人の近況を見て少し焦ったり、同僚の活躍に気持ちがざわついたりすることがあります。自分では気にしないつもりでも、ふとした瞬間に誰かと比べてしまう。そんな経験は、多くの人にあるはずです。
こうした比較の気持ちは、性格が悪いから起きるわけでも、心が弱いから起きるわけでもありません。自分が今どのあたりにいるのか、うまくやれているのかを確かめようとして、まわりを手がかりにしやすいからです。心理学では、この傾向を「社会的比較」として考える見方もあります。比べること自体はかなりありふれた反応ですが、比べ方によっては苦しさが大きくなります。だからこそ、まずは仕組みを知っておくことが大切です。
他人を見るのは、自分の位置を確かめたいから
自分の頑張りが足りているのか、周囲と比べて遅れているのか、それとも順調なのか。こうしたことは、一人だけで判断しようとすると意外と分かりにくいものです。数字がある場面でも、点数そのものより平均点が気になったり、仕事の進み具合より同期の様子が気になったりします。
つまり、比較は単なる癖というより、自分の立ち位置を知ろうとする動きとして表れやすいのです。外の情報をまったく見ずに自分を評価するのは難しいので、誰かを物差しにしてしまうこと自体は不思議ではありません。
しかも、比較には役に立つ面もあります。自分の課題に気づけたり、目標の輪郭が見えたりすることがあるからです。誰かを見て「自分もこうなりたい」と思えたなら、その比較は前へ進むきっかけにもなります。
比べるのは、競争したいからだけではない
比較というと、すぐに競争や嫉妬の話に見えがちです。けれど実際には、不安を落ち着かせるために比べている場面も少なくありません。
たとえば、自分だけが失敗しているわけではないと分かると、少し気が楽になります。周囲も同じように迷っていると知るだけで、孤立感がやわらぐこともあります。反対に、自分のほうがまだ落ち着いていると感じて安心する場面もあります。
つまり、比較には上を見る動きだけでなく、下を見る動きもあります。上を見れば焦りや憧れが生まれ、下を見れば安心や安堵が生まれることがある。どちらも、人の気持ちを守ろうとする働きと結びついています。だから比較は、いつも悪い方向にだけ働くわけではありません。
苦しくなりやすいのは、比べる材料が偏るとき
比較がつらくなるのは、相手の一番目立つ部分と、自分の普段の姿を並べてしまうときです。とくにSNSでは、うまくいっている瞬間、楽しそうな場面、整って見える暮らしだけが目に入りやすくなります。その一方で、自分は冴えない日も迷う時間も含めて自分を見ています。
条件がそろっていないのに、同じ土俵で比べてしまう。すると、「自分は遅れている」「自分には何か足りない」と感じやすくなります。しんどさの原因は、比較そのものというより、比べる材料の偏りにあることも少なくありません。
しかも、参考になりそうな少し先の相手より、まぶしすぎる相手のほうに目が向きやすいことがあります。学ぶつもりで見ていたのに、気づけば落ち込むだけで終わっていた。そんな流れが起きやすいのも、比較のやっかいなところです。
焦りの奥には、自分の望みが隠れている
誰かを見てざわつくとき、その中には「今よりもう少し良くなりたい」という気持ちが混ざっていることがあります。羨ましさや焦りは、ただの嫌な感情ではなく、自分が大事にしたいものを映している場合もあります。
仕事ができる人を見て落ち込むなら、自分も認められたいのかもしれません。友人の暮らしぶりが気になるなら、安心できる生活や人間関係を求めているのかもしれません。比べて苦しくなる場所には、自分の願いが隠れていることがあります。
そう考えると、比較してしまう自分をすぐ責めるより、「自分は何に反応したのだろう」と見てみるほうが前向きです。痛みの中に、これから大切にしたいことの輪郭が出てくることもあります。
他人だけを基準にすると、心は不安定になりやすい
問題になるのは、比べることそのものより、評価の基準が他人だけになってしまうことです。誰かの進み方がそのまま自分の価値になると、気分はかなり揺れやすくなります。
本来は、環境も得意不得意も、使える時間も人によって違います。それなのに、目に見える結果だけを並べて優劣をつけようとすると、苦しくなりやすいのは当然です。比較は、本来なら目安の一つとして使うくらいがちょうどよいものです。
「あの人のやり方は参考になる」「こういう道もあるのか」と受け取れるなら、比較は役に立ちます。けれど「あの人より下だからだめだ」となってしまうと、学びのきっかけだったはずの比較が、自分をしんどくさせるものに変わってしまいます。
比べないことより、比べ方を変えるほうが現実的
誰かと比べる気持ちをゼロにするのは簡単ではありません。だから「もう比べない」と決めても、うまくいかず、比べてしまった自分にまた落ち込むことがあります。
それなら、比べ方を少し変えるほうが現実的です。今の自分と半年前の自分を比べる。見ていて苦しくなる相手より、学びになる相手を選ぶ。結果だけでなく、自分が続けてきたことにも目を向ける。こうした小さな工夫だけでも、比較の負担はかなり変わります。
また、ざわついたときには「自分は何を欲しかったのか」と問い直してみるのも役に立ちます。劣等感に見える感情の奥には、願いや不足感があります。そこが分かると、ただ傷つくだけで終わりにくくなります。
比較する気持ちがあっても、それだけで悪いわけではない
比べてしまう自分を、すぐに否定しなくて大丈夫です。人は自分を知りたくて、安心したくて、よりよくなりたくて比べます。そうした動きは、とても人間らしいものです。
大切なのは、比較した瞬間に自分の価値まで決めてしまわないことです。「今、自分は何に強く反応したのか」と少し立ち止まれるだけでも、比較はただの苦しさでは終わりません。不安や願いを知る手がかりとして使えることもあります。
比べる気持ちをなくすことより、どう付き合うかを知ること。そのほうが現実に合っていますし、自分にも少しやさしくなれます。
Q&A(よくある疑問)
まとめ
人が他人と比べてしまうのは、自分の位置を知りたいからであり、安心したいからであり、今よりよくなりたい気持ちがあるからです。比較はかなり人間らしい反応で、それ自体が悪いわけではありません。
つらくなりやすいのは、他人だけを基準にしてしまうときです。比べることをなくそうとするより、比べ方を少し変えるほうが現実的です。比較してしまう心を責めるより、その奥にある不安や望みに目を向けると、気持ちは少しずつ扱いやすくなっていきます。
参考情報
- Leon Festinger「A Theory of Social Comparison Processes」
- Thomas Mussweiler「Comparison Processes in Social Judgment: Mechanisms and Consequences」
- Erin A. Vogel ほか「Social Comparison, Social Media, and Self-Esteem」
- Jasmine Fardouly ほか「Social Comparisons on Social Media: The Impact of Facebook on Young Women’s Body Image Concerns and Mood」
- Helmut Appel ほか「The Interplay Between Facebook Use, Social Comparison, Envy, and Depression」
