漫画の吹き出しに入っている文字をよく見ると、漢字とひらがな・カタカナで少し雰囲気が違って見えることがあります。
漢字は太くはっきりしているのに、仮名には筆で書いたような柔らかさがある。これは単なる見間違いではありません。
日本の漫画では、通常のセリフにアンチック体の仮名とゴシック体の漢字を組み合わせる「アンチゴチ」と呼ばれる文字組みが長く使われてきました。
そのため漫画の吹き出しは、単純な明朝体でもゴシック体でもない独特の見た目になっていることがあります。
漫画の吹き出しは明朝体?ゴシック体?
漫画の文字を見て「これは明朝体なのか、それともゴシック体なのか」と迷うことがあります。
答えが分かりにくいのは、一つのセリフの中で異なる系統の文字が組み合わされている場合があるためです。
漫画の通常のセリフでは、太く作られたアンチック体の仮名と、ゴシック体の漢字を組み合わせる方法が広く使われてきました。
この組み合わせが「アンチゴチ」です。「ゴチアンチ」と呼ばれることもあります。
たとえば、
私は今日も学校へ行く
という文章なら、「私」「今日」「学校」「行」などの漢字はゴシック系、「は」「も」「へ」「く」といった仮名はアンチック系という組み合わせになることがあります。
文章全体では違和感なく一続きに読めても、細かく見ると漢字と仮名の形には違いがあります。
アンチック体そのものと、アンチゴチは同じ意味ではありません。
アンチック体は、一般にゴシック体の漢字と組み合わせて使われてきた、明朝系の太い仮名書体です。そのアンチック体の仮名とゴシック体の漢字を組み合わせた文字組みがアンチゴチです。
このように、異なる書体を組み合わせて文字を組むことは「混植(こんしょく)」と呼ばれます。アンチゴチもその一例です。
現在は、アンチック体の仮名とゴシック体の漢字をあらかじめ組み合わせ、一つのフォントとして使える製品もあります。
アンチック体の仮名にはどんな特徴がある?
明朝体は、一般に縦線と横線で太さに差があり、横線の端には「うろこ」と呼ばれる形があります。
一方、ゴシック体は明朝体に比べて縦横の線幅の差が小さく、太くはっきり見えるものが多い書体です。
アンチック体の仮名は、通常の明朝体の仮名をそのまま使ったものではありません。明朝体や筆文字を思わせる形を持ちながら、ゴシック体の漢字と並べても細く見えすぎないよう、線の太さなどが調整されています。
そのため、漢字にはゴシック体らしい力強さがあり、仮名には筆で書いたような柔らかさが残ります。
この組み合わせが、漫画のセリフで見慣れた独特の印象につながっています。
明朝体やゴシック体でセリフの雰囲気も変わる
漫画に登場するすべての文字がアンチゴチというわけではありません。
アンチゴチが代表的に使われてきたのは、吹き出しに入る通常の会話文です。
叫び声、独白、ナレーション、不気味な声、機械音声などでは、別の書体が使われることがあります。
たとえばゴシック体は、線が太く文字がはっきり見えるものが多いため、強調したいセリフや大きな声の表現に使われることがあります。
明朝系の書体は線に太さの変化があり、ゴシック体とは違った印象を持ちます。ナレーションや静かな場面、独白などで、通常の会話と雰囲気を変えるために選ばれる作品もあります。
丸ゴシック体や手書き風書体、個性的なデザイン書体を使えば、柔らかさや幼さ、不気味さ、機械的な雰囲気などを表すこともできます。
ただし、
「叫び声ならゴシック体」「心の声なら明朝体」
と決まっているわけではありません。
どの書体をどの場面に使うかは、作品のジャンルや出版社、制作方法、作者やデザイナーの方針によって変わります。
漫画では書体そのものが、絵や吹き出しの形と一緒に演出の一部になっています。
昔の漫画は吹き出しの文字を「貼っていた」
現在はパソコンやタブレットを使って漫画を制作し、デジタルフォントでセリフを入れる方法が広く使われています。
しかし、以前の商業漫画では別の方法が使われていました。
デジタル制作が普及する前には、写真植字(しゃしんしょくじ)、略して「写植(しゃしょく)」で作った文字を吹き出しへ入れる方法が広く用いられていました。
写植は、写真の仕組みを利用して文字を印画紙などへ出力する技術です。
漫画では、写植で作られたセリフを必要な大きさで用意し、それを切り取って原稿の吹き出しへ貼り込む作業が行われていました。
現在なら画面上で文字を移動させて位置を調整できますが、当時は紙に出力されたセリフを切って貼る工程があったのです。
アンチック系の仮名とゴシック体の漢字を組み合わせた文字組みも、写植の時代から漫画の吹き出しで使われてきました。
1990年代半ば以降、出版物のデジタル制作が普及するにつれて、漫画のセリフもデジタルフォントで組まれることが増えていきます。
制作方法は変わりましたが、漫画で長く使われてきたアンチゴチの特徴はデジタルフォントにも引き継がれています。
古い漫画の復刻版や電子書籍では、もとのページを画像として収録している場合があり、当時の写植文字をそのまま目にすることもあります。
漫画では文字そのものが「声」の一部になる
小説では、登場人物が怒ったり叫んだりしても、本文全体の書体そのものを変えないことが一般的です。
漫画ではセリフが絵と同じ画面の中に置かれるため、文字の形や大きさも演出に使えます。
たとえば、
ほんとうに?
という同じ言葉でも、細く小さな文字と、太く大きな文字では受ける印象が違います。
文字を大きくする、太くする、傾ける、輪郭を付けるといった見せ方によって、声量や感情の強さを感じさせることもできます。
漫画向けのフォントには、通常の文章ではあまり使われない表現に対応するため、濁点・半濁点付きの仮名や、さまざまな感嘆符・疑問符、音を伸ばすための記号などを収録したものもあります。
一方、「ドン」「ガーン」「しーん」といった効果音や擬音では、フォントではなく手描きの文字が使われることもあります。
この場合、文字は読むための情報であると同時に、線の太さや形まで含めて絵の一部になります。
漫画では文字の内容だけでなく、その見た目も登場人物の声や場面の空気を伝える要素になっているのです。
アンチゴチはなぜ「漫画らしく」見えるの?
漫画を読み慣れている人なら、アンチゴチの文字を見るだけで「漫画の吹き出しらしい」と感じることがあります。
アンチゴチは写植の時代から通常のセリフで使われ、デジタル制作へ移行したあとも同系統の文字が使われています。
現在も漫画制作向けのアンチック系フォントが提供されており、漫画特有の文字や記号を収録したものもあります。
制作方法が写植からデジタルへ変わっても、アンチック系の仮名とゴシック体の漢字を組み合わせる特徴は受け継がれてきました。
長いあいだ漫画の吹き出しで目にしてきた書体であることも、「漫画らしい文字」と感じる背景の一つと考えられます。
現在の漫画では書体の選択肢も広い
アンチゴチは代表的な文字組みですが、現在の漫画ではさまざまな書体が使われています。
明朝体、ゴシック体、丸ゴシック体、手書き風書体、デザイン書体などが、作品や場面に応じて選ばれます。
同じ作品の中でも、通常の会話にはアンチゴチ、ナレーションには明朝系、強調するセリフには太いゴシック系といった使い分けが見られる場合があります。
Web漫画や同人誌では使われる制作ソフトやフォントも多様で、作品ごとの差も大きくなっています。
アンチゴチは「漫画なら必ず使う文字」ではなく、日本の漫画の通常セリフで長く使われてきた代表的な文字組みです。
まとめ
漫画の吹き出しで明朝体とゴシック体が混ざっているように見えるのは、通常のセリフに独特の文字組みが使われてきたためです。
代表的なのが、アンチック体の仮名とゴシック体の漢字を組み合わせた「アンチゴチ」です。アンチック体そのものは明朝系の太い仮名書体で、ゴシック体の漢字との組み合わせをアンチゴチと呼びます。
デジタル制作が普及する以前には、写植で作ったセリフを切り取り、原稿の吹き出しへ貼り込む方法が広く使われていました。アンチゴチも写植の時代から漫画の吹き出しで使われ、制作がデジタルへ移ったあともその特徴が受け継がれています。
現在は場面に応じて明朝体やゴシック体、手書き風の文字なども使われます。漫画の文字は言葉を読ませるためだけでなく、登場人物の声や場面の雰囲気まで目で伝える表現の一部になっています。
参考情報
- 株式会社モリサワ「アンチックAN1|書体見本」
- Adobe Blog「貂明朝アンチックと漫画向け文字コレクションAdobe-Manga1-0の意見交換会を開催」
- Adobe Blog「漫画で大活躍!アドビオリジナルのアンチック体『貂明朝アンチック』が登場!」
- モリサワ note編集部「【前編】日本語デザインを変えた技術 発明100年に1から知りたい『写植』の話」
