私たちが日常的に使っている A型・B型・O型・AB型という血液型。しかし、その名称が「誕生当初は今と違っていた」という事実は意外と知られていません。実は、現在の O型はかつて“C型”と呼ばれていた時期がある のです。これは血液型分類が確立されていく過程で生じた歴史的な変遷で、医学の発展とともにより分かりやすい表記へ統一されていきました。また、日本だけ血液型性格診断が定着した理由や、海外との文化的違いなど、血液型には多くの“知られざる背景”が存在します。本記事では、その歴史と理由を科学と雑学の両面からわかりやすく解説します。
O型は昔C型?血液型の意外な歴史と名称変更の理由
血液型は最初 A・B・C の3種類だった
ABO式血液型を発見したのは、オーストリアの医学者 カール・ラントシュタイナー。
1900年の研究では、人間の血液は以下の3つに分類されました。
- A型
- B型
- C型(現在のO型)
このとき 抗原を持たない型(現O型)は、研究段階で一時的にC型と呼ばれていました。
その後研究が進むなかで、より分かりやすく整理された表記として 「O型」へと改められました。
なぜ O型に? “O” の理由には複数の説が存在
O型の “O” には以下の代表的な由来説があります。
①「0(ゼロ)」を意味している説(最有力)
O型は A抗原・B抗原を持たないため「ゼロ → O」と表記した説。
もっとも広く知られており、雑学的にも成立しやすい説明です。
② ドイツ語の「Ohne(なし)」の頭文字説
ラントシュタイナーはドイツ語圏の科学者であり、
抗原が「無し」であることから “O” としたという説。
③ A・B・C の並びより視認性を優先した説
A・B・C と並ぶと“系列順”に見えてしまい紛らわしいため、
別記号の O を採用したとする説も存在。
いずれにせよ、
O型が昔C型と呼ばれていたのは歴史的事実であり、名称は研究の進展とともに整理されたものです。
AB型は後から見つかった“追加型”
AB型の発見は1902年で、最初から4種類あったわけではありません。
「AとBの両方を持つ人」を後から確認したことで分類が拡張されました。
なぜ日本だけ血液型と性格を結びつけるのか
血液型文化は“科学”ではなく“文化現象”
日本で血液型性格診断が普及した理由は次の通り。
- 1970年代に雑誌・テレビが大きく取り上げブーム化
- 日本文化にある「分類して理解したい」心理と相性が良い
- コミュニケーションの話題として広がりやすかった
科学的根拠が弱くても“文化として定着した”事例と言えます。
科学的には性格との関連は確認されていない
心理学的な研究では、
- 血液型と性格に相関は確認されず
- データを集めても統計的有意差は出ない
とされています。
そのため、現代では
「エンタメとして楽しむもの」 という位置づけが一般的です。
海外では血液型をどう扱っている?
欧米では「自分の血液型を知らない人」が多い
海外では医療目的以外で血液型を気にする文化がないため、
性格判断やコミュニケーションに使うことはほぼありません。
韓国・台湾では日本文化の影響で普及
同じアジア圏でも、日本文化の影響が大きい国では血液型性格文化が広まりました。
これも文化交流の一例と言えます。
血液型にまつわる意外な深堀り雑学
O型は“最も古い血液型”という説がある
遺伝学では、O型を祖型(原型)とする説が有力です。
その後 A・B へと枝分かれしたという見方があります。
輸血では「O型=万能」は誤解されやすい
かつては O型は“万能供血”と言われましたが、
現在の医療では 事前交差試験が必須。
安全性を優先するため、誰にでもOKという考え方は既に古いものとなっています。
Q&A
まとめ(300字以内)
O型がかつて「C型」と呼ばれていたのは、血液型研究が始まったばかりの時代に抗原の有無を簡易的に分類していたことが理由です。研究が進むにつれ、より分かりやすい名称として現在の「O型」へと変更されました。また、日本では血液型と性格を結びつける文化が特に強く、海外とは大きく異なる点も興味深い特徴です。科学と文化の両方を知ることで、血液型にまつわる雑学がより深く理解できるようになります。
血液型の歴史以外にも、身近な文化・習慣の背景には意外なストーリーが隠れています。
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