「人の不幸は蜜の味」という言葉を聞くと、ワイドショーや炎上ニュースを思い浮かべる人も多いかもしれません。
芸能人の不祥事や事件事故が大きく報じられ、多くの視聴者や読者の注目を集める光景は、日本では身近なものです。
では、このような報道のあり方は日本特有なのでしょうか。
それとも、人の不幸に関心が集まる現象は世界共通なのでしょうか。
本記事では、「人の不幸は蜜の味」という感覚が生まれる背景を手がかりに、日本と海外のメディア報道を比較しながら、その違いを雑学として分かりやすく整理します。
「人の不幸は蜜の味」という感覚はどこから来た?
ことわざが表す人間の心理
「人の不幸は蜜の味」という言葉は、日本のことわざとして知られています。
他人の失敗や転落を見ることで、自分の立場に安心感を覚える感情を、端的に表した表現です。
こうした感覚は、日本人に限ったものではありません。
心理学の分野でも、他者との比較によって生まれる安心感や優越感は、人間に共通する傾向として説明されています。
日本では言葉として定着した
人間に共通する感覚である一方、日本ではそれがことわざとして定着しました。
遠回しな表現や皮肉を用いて感情を共有する文化があり、直接的な言い方を避けながらも本音を伝える言葉として広まったと考えられます。
この点が、「人の不幸は蜜の味」という表現が長く使われ続けている理由の一つです。
日本のメディアは本当に「不幸」を強調するのか
ワイドショーに見られる特徴
日本のテレビ報道、とくにワイドショーでは、事件や不祥事を感情面から伝える構成が多く見られます。
当事者の表情や生活背景、周囲の反応などが丁寧に紹介され、視聴者が感情移入しやすい作りになっています。
これは、視聴率を意識した番組構成とも深く関係しています。
身近な出来事として伝える傾向
日本の報道では、出来事を「自分の身にも起こり得る話」として伝えることが少なくありません。
その結果、不幸なニュースも社会問題というより、身近な話題として受け取られやすくなります。
この距離の近さが、視聴者の関心を集めやすくしている面があります。
海外メディアの報道スタイル
ニュースと娯楽の役割分担
欧米のメディアでは、ニュースと娯楽コンテンツの役割分担が比較的はっきりしています。
公共性の高いニュース番組では事実関係を中心に伝え、感情的な演出は控えめな傾向があります。
一方で、芸能人のスキャンダルや私生活を扱う内容は、タブロイド紙やゴシップ専門メディアが担うことが多いのが特徴です。
不幸を扱う場所が分かれている
海外でも他人の不幸が注目を集めること自体は珍しくありません。
ただし、それをどの媒体で扱うかが明確に分かれている点が、日本との大きな違いです。
不幸な出来事が公共ニュースと混ざりにくい構造になっています。
日本と海外の報道を比べると見える違い
日本と海外メディアの比較表
| 観点 | 日本 | 海外(欧米例) |
|---|---|---|
| 不幸なニュースの扱い | ワイドショーで頻繁に扱う | ニュースと娯楽で分離 |
| 伝え方 | 共感・感情を重視 | 事実中心が多い |
| 視聴者との距離 | 身近な出来事として伝える | 社会的事象として扱う |
| ゴシップの位置づけ | 一般番組と混在しやすい | 専門メディアに集中 |
- 国やメディアによって違いはあります。
「日本だけが特別」とは言い切れない理由
注目が集まる心理は共通している
他人の不幸に関心が向く心理そのものは、世界共通です。
違いが生まれるのは、その感情をどのように扱い、どこまで公にするかという点です。
日本では感情を共有する文化が強く、その結果として不幸な出来事が目立ちやすい形で表に出ていると言えるでしょう。
まとめ
「人の不幸は蜜の味」という感覚は、日本だけの特別なものではありません。
ただし、日本のメディアは感情に寄り添う報道が多く、不幸な出来事が身近な話題として伝えられやすい特徴があります。
海外では、不幸を扱う場とニュースが分けられる傾向があり、その違いが報道スタイルとして表れています。
日常的に触れるニュースを少し引いて見ることで、報道の見え方も変わってくるかもしれません。
ニュースや報道の伝え方には、その国ごとの文化や価値観が反映されています。
日常的に触れている情報を、少し違った視点で見直してみるのも一つの楽しみ方かもしれません。
