宝くじの歴史を調べていると、必ずといっていいほど登場する言葉が「富くじ(とみくじ)」です。
富くじは、現代の宝くじの直接的な起源と断定されるものではありませんが、その仕組みや考え方が後の宝くじ制度に影響を与えた存在として知られています。
では、富くじとはいったいどのようなものだったのでしょうか。
本記事では、富くじの仕組みや始まり、なぜ広まり、なぜ姿を消したのかを、雑学としてわかりやすく解説します。
富くじとは何か?
富くじとは、江戸時代に寺社を中心として行われていた抽選式のくじのことです。
人々が札(くじ)を購入し、抽選によって当たりが出ると金銭や品物が授けられました。
仕組み自体は現代の宝くじとよく似ていますが、富くじは国家が制度として運営していたものではなく、寺や神社が主体となって行っていた行事だった点が大きな特徴です。
富くじはいつ頃から始まったのか
富くじの起源は、江戸時代初期から中期(17世紀頃)と考えられています。
中でもよく知られているのが、大阪・箕面の瀧安寺で行われていた「箕面富(みのおとみ)」です。
この箕面富は、寺の修繕や運営資金を集める目的で行われたとされ、現在の宝くじの公式サイトなどでも、宝くじの歴史を語る文脈で紹介されることがあります。
なぜ寺や神社で富くじが行われたのか
江戸時代、寺社の建物や仏像の修復には多額の費用が必要でした。
そこで考え出されたのが、人々が自発的に参加したくなる形で資金を集める仕組みとしての富くじです。
- 参拝と結びついている
- 当たれば大金が手に入る夢がある
- 寄付よりも参加しやすい
こうした理由から、富くじは庶民の間で急速に広まりました。
富くじは公認だったのか、それとも禁止だったのか
富くじは、その人気の高さゆえに、幕府からたびたび問題視された存在でもありました。
- 賭博性が強い
- 生活を破綻させる人が出る
- 風紀が乱れる
こうした理由から、原則としては禁止されることが多かったとされています。
一方で、寺社修復という名目がある場合には、特例的に許可されるケースもありました。
そのため、富くじは「全面的に公認された制度」でも「完全な闇の賭博」でもない、非常に曖昧な立場にあったといえます。
富くじと現代の宝くじの違い
富くじと現代の宝くじには、共通点と大きな違いの両方があります。
共通点
- 抽選で当たりが決まる
- 少額で夢を買う仕組み
- 庶民向けの娯楽要素が強い
違い
- 富くじ:寺社主導・一時的・地域限定
- 宝くじ:国や自治体主導・制度化・全国規模
現代の宝くじは、富くじのような仕組みを参考にしつつ、賭博性を抑えた公的制度として再設計されたものと考えると理解しやすいでしょう。
なぜ富くじは姿を消したのか
明治時代に入ると、日本は近代国家として法制度の整備を進めていきます。
その中で、寺社が独自に行う富くじは次第に姿を消していきました。
その代わりに登場したのが、国や自治体が管理する宝くじ制度です。
つまり、富くじは単に廃れたのではなく、形を変えて現代の宝くじへと引き継がれた存在ともいえます。
富くじは日本独自の文化だったのか
抽選によって資金を集める仕組み自体は、世界各地に存在していました。
しかし、信仰と深く結びついた形で富くじが広まった点は、日本的な特徴といえるでしょう。
富くじは、江戸時代の庶民が「信仰・娯楽・生活」を一体として捉えていたことをよく表しています。
Q&A|富くじに関する素朴な疑問
まとめ
富くじとは、江戸時代に寺社を中心に行われていた抽選式のくじで、現代の宝くじと共通する要素を多く持っています。
賭博性や社会問題からたびたび禁止されながらも、庶民に夢を与える存在として広まりました。
やがて時代の変化とともに姿を消しましたが、その仕組みは公的制度として再構築され、現在の宝くじへと受け継がれています。
富くじを知ることで、宝くじが単なる運試しではなく、日本の歴史や文化と深く結びついた存在であることが見えてくるでしょう。
