中世ヨーロッパの名字はどう扱われた?家名・爵位との違い

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中世ヨーロッパ風の世界観を持つ作品では、貴族には立派な家名があり、町の人や農民は「ジョン」「マリー」のような個人名だけという設定を見かけることがあります。

実際の中世ヨーロッパでは、多くの人が生まれたときから固定した名字を持ち、それを家族で共有する仕組みが最初から広く存在していたわけではありません。

西ヨーロッパでは中世初期に一つの個人名を基本とする命名が広く見られ、その後は父親、出身地、職業、あだ名などを示す第二の名称が使われるようになりました。その一部が何世代にもわたって受け継がれ、現在の名字に近い世襲姓へ変わっていきます。

名字・家名・爵位は、一見似ていますが同じ種類の名称ではありません。

名字は人を識別する名前の一部です。「家名」は一族や家系を日本語でまとめて表す際に使える言葉で、中世ヨーロッパ全体に共通する制度名ではありません。爵位や称号は、その人の社会的な地位に関わる別の要素です。

さらに、名前の仕組みは地域によって違いました。イングランドと古ノルド社会だけを見ても、家族とのつながりを名前で示す方法にはかなり差があります。

中世の名前は、現在よりもずっと流動的でした。

目次

名字・家名・爵位はそれぞれ何を指す?

名字、家名、爵位は一人の人物を表す情報として並んで見えることがありますが、役割は異なります。

用語主な意味中世を見るときの注意点
名字・姓個人名に加えて人を識別する名称第二名と世襲姓は同じとは限らない
家名一族や家系を日本語でまとめて表す際に使える言葉中世ヨーロッパ共通の制度名ではない
爵位・称号公爵・伯爵・男爵などと訳される地位や称号意味や制度は地域・時代によって異なる

名字は「人を説明する第二名」から発達した

現在のsurname(姓・名字)に近いものが、中世にも次第に現れていきました。

ただし、個人名の後ろに別の名称が付いているからといって、それがすぐに固定した名字を意味するわけではありません。

たとえば「Robertの息子John」「Yorkから来たWilliam」「鍛冶屋のJohn」といった呼び方です。

こうした名称は、最初から家族で受け継ぐ姓だったのではなく、その人物が誰なのかを補足するために使われることがありました。

父親や母親、土地、職業、あだ名などが第二名として使われ、その名称が父から子、さらに孫へと受け継がれるようになると、世襲姓としての性格を持つようになります。

第二の名前があることと、家族で受け継ぐ姓があることは同じではありません。

「家名」は一つの中世制度を表す言葉ではない

日本語の「家名」は、ある一族や家系をまとめて表すときに便利な言葉です。

ただし、中世ヨーロッパに共通の「家名制度」があり、すべての一族が決まった形式で一つの家名を名乗っていたわけではありません。

一族を示す名称には、世襲される姓、所領や本拠地に由来する名称、一族を指す呼称、後世に定着した王朝名など、性格の異なるものがあります。

現在の歴史書では「○○家」と一つの家名のように扱われていても、当時の人々がそれを姓として使っていたとは限りません。

「家名」は中世ヨーロッパ共通の制度名ではなく、一族や家系を日本語でまとめて表す際に使える言葉です。

爵位や称号は人名とは別の要素

中世ヨーロッパには、日本語で公爵・伯爵・男爵などと訳されるさまざまな称号や地位がありました。

これらは名字とは別のものです。

ある人物が伯爵だったとしても、「伯爵」がその人物の名字になるわけではありません。

また、称号の意味や序列は地域によって違います。継承方法や土地との結びつきも、時代を通して同じではありませんでした。

名字や第二名、一族への所属、爵位や称号は互いに関係することがあっても、それぞれ別の情報です。

ウィリアム・マーシャルでは人物名と爵位が別に表れる

12世紀後半から13世紀初めに活躍したイングランドの騎士、ウィリアム・マーシャル(William Marshal)は、この違いを示す例の一つです。

彼は1199年にペンブルック伯(Earl of Pembroke)となりました。

歴史資料などでは「William Marshal, Earl of Pembroke」のように表されます。この場合、William Marshalが人物を示す名称で、Earl of Pembrokeはその人物が持つ爵位です。

William Marshalという人物を示す名称と、Earl of Pembrokeという爵位は別の情報です。

中世ヨーロッパの名字は最初から固定されていなかった

現在の日本では、基本的に姓と個人名を組み合わせて人を表します。ヨーロッパの多くの地域でも、現在は個人名と固定した姓を組み合わせる形が一般的です。

この感覚を中世へそのまま持ち込むと、当時の名前を読み違えやすくなります。

西ヨーロッパでは、中世初期から10世紀末ごろまで一つの個人名を基本とする命名が広く見られました。

11世紀以降になると、個人名に第二の名称を加える形が増えていきます。

第二名には父親・土地・職業・あだ名などが使われた

中世の第二名には、いくつか代表的な由来があります。

名前の由来呼び方のイメージ後の姓につながる例
父親・祖先Robertの息子Robertsonなど
出身地・居住地○○出身のWilliam地名由来の姓
職業鍛冶屋、パン職人Smith、Baker
特徴・あだ名外見や性格など特徴由来の姓

父親の名前を使う場合、最初は文字どおり「誰の息子か」を表していました。

これが固定して受け継がれるようになれば、本人の父親がRobertでなくてもRobertsonを名乗るようになります。

職業でも同じ変化が起こります。

Smithは鍛冶職人、Bakerはパン職人に由来する代表的な姓です。しかし世襲姓になった後は、本人の職業と一致する必要がありません。

土地に由来する名称なら「○○から来た人」「○○に住む人」という説明が、その土地を離れた子孫にも残ることがあります。

外見や性格などから生まれたあだ名が、後に世襲姓となる場合もありました。

現在では普通の名字に見えるものでも、もともとは特定の人物を説明する言葉だった可能性があります。

同じ人物が複数の名前で記録されることもあった

第二名が固定していない時代には、同じ人物が常に同じ名前で記録されるとは限りません。

ある文書では父親との関係で呼ばれ、別の文書では土地との関係で呼ばれる場合があります。

ノルマン征服後のイングランドで有力者となったRichardという人物には、

Richard son of Gilbert(ギルバートの息子リチャード)
Richard de Bienfaite(ビエンフェットのリチャード)
Richard of Clare(クレアのリチャード)
Richard of Tonbridge(トンブリッジのリチャード)

など複数の呼び方が残っています。

今の感覚では「正式な姓はどれなのか」と思いがちですが、中世では一つに決められない場合があります。

どの土地との関係を示すのか、誰との血縁を示すのか、文書の中で何を基準に人物を識別するのかによって、同じ人物に異なる名称が使われることがあったからです。

名字の定着時期は地域や社会階層によって違った

中世ヨーロッパの名字には、「この年から全員が名字を持った」という境目がありません。

西ヨーロッパでは11世紀以降、第二名を持つ人々が増えていきます。しかし、第二名が使われることと、その名前が世代を超えて固定されることは同時には進みませんでした。

同じ地域でも、社会階層や記録の残り方によって見え方に差があります。

イングランドでは1300年ごろまでに姓が広く普及

イングランドについて英国国立公文書館は、1300年ごろまでにはsurname、つまり姓の使用が広く普及していたと説明しています。

それでも、現在の姓ほど固定されてはいません。

綴りに一貫性がなかったり、文書によって姓が使われなかったりすることがあります。同じ人物が異なる姓で記録される場合もあり、親から子へ必ず同じ姓が受け継がれるとも限りませんでした。

「1300年ごろには姓が広く使われていた」ことと「現在のように固定した姓が定着していた」ことは同じではありません。

さらに、中世イングランドの文書は英語だけで書かれていたわけではありません。

公的な記録では中世ラテン語が広く使われ、アングロ・ノルマン語や中英語が使われる文書もありました。

同じ人物でも、文書の言語や書記によって名前の表記が変わる場合があります。綴りそのものも現在ほど固定されていませんでした。

一つの綴りが正式な表記として固定される現在の感覚とは、かなり違います。

名字が広がった理由についても、「人口が増えて同じ名前の人が多くなったから」と一つだけに絞ることはできません。

人物を区別する必要性に加え、当時の社会関係や文化、文書の中で人物をどのように識別したのかといった複数の事情が関わっています。

古ノルド社会では父親との関係を示す父称も使われた

中世ヨーロッパの地域差が分かりやすい例の一つが、古ノルド社会で使われた父称です。

父親の名前をもとに「○○の息子」「○○の娘」と人物を示す方法で、一族全員が同じ固定姓を共有する仕組みとは違います。

兄妹であっても性別によって名称の形が異なり、その子どもの世代では自分の父親の名前をもとに新しい父称が使われます。

祖父、父、子が一つの姓を代々受け継ぐ仕組みとは異なります。

娘についても、結婚したことで自動的に夫の家族名へ変わる仕組みではなく、父との関係を示す父称が本人の識別に使われました。

古ノルド社会の父称は、固定姓とは別の方法で家族関係を名前に表していた例です。

上層層では土地に由来する名称も目立った

西ヨーロッパでは、世襲的な名称が比較的早い時期から上層層で見られる傾向があります。

王族や有力者の場合、支配する土地や本拠地との関係が重要だったため、史料にも地名型の第二名が数多く残されています。

ただし、地名が付いているからといって、それだけで高い身分を証明できるわけではありません。

地名型の名前は、その人物と土地との関係を示す方法の一つです。

「de+地名」は爵位を表すものではない

中世風の名前としてよく知られているのが「de ○○」という形です。

deは土地との関係を示す表現として使われ、「○○の」「○○から来た」といった意味を持ちます。

有力者が本拠地や所領に由来する名称を使うこともあるため、現在では貴族らしい名前に感じられる場合があります。

しかし、deが付いているだけで、その人物が爵位を持っていたことにはなりません。

土地との関係を示す第二名と、爵位や社会的地位は別の情報です。

似た形の名称でも、地域や時代が変われば意味や社会的な扱いも変わります。

商人・職人・農民にも名字は広がっていった

世襲姓が定着していくと、名字は王族や上層層だけのものではなくなります。

商人、職人、農民などにも名字が使われるようになりました。

そのため、中世社会を「貴族には家名があり、それ以外の人々には個人名しかない」と二つに分けることはできません。

時代が早ければ、高い身分の人物でも固定姓を持たない場合があります。

反対に中世後期になれば、爵位とは関係のない人々にも世襲姓が見られます。

名前と社会的地位が結びつく場面はあっても、名字の有無だけで身分が決まる仕組みではありませんでした。

現在の「○○家」が当時の名字とは限らない

王族や大貴族になると、もう一つ注意したいものがあります。

現在の歴史では「プランタジネット家」「カペー朝」「カロリング朝」といった名前で王朝や一族を区別します。

そのため、当時の王族も王朝名を姓として名乗っていたように感じられます。

ところが、中世の支配王朝が一つの固定姓を持っていたとは限りません。

現在使われている王朝名には、後世の歴史研究で一族をまとめて表す名称として定着したものもあります。

たとえばイングランド王ヘンリー2世を、「個人名がHenry、姓がPlantagenet」と現在の姓名と同じ形で考えると、当時の名前の使われ方とはずれます。

中世の王族や有力者は個人名だけでなく、父親との関係、所領、出身地、爵位や称号など、さまざまな情報によって識別されました。

現在使われる「○○家」「○○朝」という呼び方と、当時の人々自身が使った名前は分けて考える必要があります。

中世より前のヨーロッパではどんな名前を使っていた?

中世に世襲姓が発達したからといって、それ以前のヨーロッパに家族や出自を示す名称が存在しなかったわけではありません。

古代ギリシャや古代ローマにも、それぞれ独自の命名方法がありました。

ただし、どちらもそのまま中世や現在の名字へ続く制度ではありません。

古代ギリシャでは個人名を基本に父親や出身地を加えた

古代ギリシャでは、一つの個人名を基本としていました。

人物を詳しく示す必要がある場合には、父親の名前、出身都市、所属する市民区などを加えます。

たとえばアルキビアデスなら、状況によって「クレイニアスの息子」であることや所属する市民区が付け加えられました。別の都市にいる場合には「アテナイ人」と出身地を示すこともあります。

こうした情報は人物を区別する役割を持ちますが、固定した姓とは違います。

「個人名+家族で受け継ぐ姓」という形式が、古代からそのまま続いていたわけではありません。

古代ローマには氏族を表す名前があった

古代ローマでは、中世とは違った命名制度が発達しました。

よく知られているのが、

個人名(praenomen/プラエノーメン)
氏族名(nomen gentilicium/ノーメン・ゲンティリキウム)
第三名・添え名(cognomen/コグノーメン)

を組み合わせる形式です。

ガイウス・ユリウス・カエサルなら、「ユリウス」がユリウス氏族とのつながりを示す名称にあたります。

ただし、古代ローマ人全員が、いつの時代も三つの名前を持っていたわけではありません。

三名制は特に共和政後期から帝政初期の男性市民についてよく知られる形式で、実際の命名慣習は長いローマ史の中で変化しました。

帝政後期になると名前の使われ方も変わり、古典的な三名制は以前と同じ形では使われなくなっていきます。

古代ローマにも氏族や血縁に関係する名称は存在しましたが、それを中世や現在の姓とそのまま同じものとして扱うことはできません。

中世初期には一つの個人名が広く使われた

西ヨーロッパでは、中世初期から10世紀末ごろまで一つの個人名を基本とする命名が広く見られました。

固定姓がないからといって、家系や血縁が意識されていなかったわけではありません。

有力な一族では、祖先とのつながりを意識して特定の個人名を繰り返し子どもにつけることもありました。

家族を示す固定姓がなくても、個人名の選び方や系譜によって一族とのつながりを表すことができたのです。

11世紀以降になると、西ヨーロッパ各地で第二名の使用が増えていきます。その一部が世代を超えて受け継がれ、世襲姓へ変化していきました。

ビザンツ世界でも1000年ごろから世襲姓が現れた

東ローマ帝国、いわゆるビザンツ帝国でも、人名の仕組みは時代とともに変化しました。

世襲される家族名や姓にあたる名称は、1000年ごろから散発的に発達したとされています。

初期には主に支配層で目立ち、場所や都市などに由来する家族名もありました。

西ヨーロッパとは別の時期と経路で、世襲的な家族名が発達していきました。

中世風ファンタジーの命名法と史実はどう違う?

中世ヨーロッパ風の作品では、貴族には家名があり、公爵家や伯爵家が明確に分かれ、町の人や農民は個人名だけで呼ばれる設定が使われることがあります。

実際の命名法は、作品で見られるほど統一されていませんでした。

当時の人名には、個人名だけでなく、父親や母親を示す名称、出身地や所領を示す名称、職業名、あだ名、世襲姓、一族を示す名称、爵位や称号など、さまざまな要素があります。

どの要素が使われるかは時代や地域によって違います。身分や、その人物がどのような文書に記録されたのかによっても表し方が変わりました。

中世風ファンタジーでは、歴史上の命名法の一部を取り入れながら「家名」「爵位」「所属する家」を明確に区別する設定が使われる場合があります。

その設定と史実が必ず一致するわけではありません。

一方で、土地に由来する名称を有力者が使ったこと、世襲的な名称が上層層で比較的早く見られたこと、名字が時代とともに商人や職人などへも広がったことには歴史上の背景があります。

古ノルド社会の父称のように、固定姓とは別の方法で家族関係を名前に表した社会もありました。

創作に登場する命名法と史実には重なる部分がありますが、中世ヨーロッパ全体に「家名の有無で身分が決まる」という共通ルールがあったわけではありません。

まとめ

中世ヨーロッパでは、現在のような固定した名字が最初からすべての人にあったわけではありません。

中世初期の西ヨーロッパでは一つの個人名を基本とする命名が広く見られ、11世紀以降になると父親、土地、職業、あだ名などを示す第二名が増えていきました。その一部が何世代にもわたって受け継がれ、世襲姓へ変化していきます。

名字が定着する時期は地域や社会階層によって異なりました。イングランドでは1300年ごろまでに姓が広く使われるようになりましたが、綴りや継承方法は現在ほど固定されていません。古ノルド社会では、父親との関係を示す父称も使われました。

名字、家名、爵位も同じものではありません。

名字は人を識別する名前の一部です。家名は一族や家系を日本語でまとめて表す際に使える言葉で、中世ヨーロッパ共通の制度名ではありません。爵位や称号は社会的な地位に関わる別の要素です。

現在「○○家」と呼ばれている王朝についても、その名称を当時の人々が固定姓として使っていたとは限りません。

中世の人名には、父親、土地、職業、あだ名、所領、称号など複数の情報が使われました。その一部が長い時間をかけて世襲姓へ変わっていったため、現在の名字の感覚をそのまま中世へ当てはめることはできません。

参考情報

  • The National Archives「Medieval and early modern family history」
  • University of Oxford, Prosopography Portal「Names」
  • Robert Bartlett, Blood Royal: Dynastic Politics in Medieval Europe, Cambridge University Press
  • Katherine Marie Olley, Kinship in Old Norse Myth and Legend, Cambridge University Press
  • Lexicon of Greek Personal Names, University of Oxford「Naming practices」
  • Lexicon of Greek Personal Names, University of Oxford「Modern Greek names」
  • Dictionary of Irish Biography「Marshal, William」

この記事を書いた人

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